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浦和地方裁判所 昭和60年(わ)1008号 判決

主文

被告人は無罪。

理由

第一  公訴事実及び争点の概要

一  公訴事実

本件公訴事実は、「被告人は、○○株式会社の派遣店員として、埼玉県浦和市〈住所省略〉の株式会社××浦和店で、衣類の販売に従事していたものであるところ、昭和六〇年七月一六日午後一時ころ、同店五階医務室において男児を分娩したが、同児が婚外子であり、それまで自己の懐妊事実を両親や勤務先の同僚等に隠し続けていたため、同児を分娩した事実の発覚をおそれるとともに、同児の処置に窮し、同児を殺害しようと決意し、右分娩直後、ベッド上に横臥する同児の頭部、顔面に自己の右大腿部を乗せて押し付け顔面等を圧迫し、よって、そのころ、同所において、同児を窒息により死亡させて殺害したものである。」というのである。

二  争点の概要

ところで、当公判廷で取り調べた証拠によると、被告人が、ほぼ公訴事実記載の日時ころ(正確には、昭和六〇年七月一六日午後零時頃から同日午後一時四〇分頃までの間に)、同記載の場所において、婚姻外の性交渉により妊娠した男児を分娩したこと、同日午後一時四〇分頃、事態の異常に気付いた看護婦らが、被告人の毛布をまくり上げた結果、右ベッド上の被告人の傍に出産直後の男児が発見されたこと、右男児は救急隊員により応急手当を受け直ちに病院へ搬送されたがすでに死亡しており、右の状況からすると、看護婦らに発見された時点において、すでに死亡していたと考えてほぼ間違いないことなどの事実が明らかである。

これに対し、被告人は、当公判廷において、最終的に、「自分の足を子供に乗せたことはない。子供を殺そうと思ったこともない。」旨供述して、殺意及び殺害行為を争い(なお、被告人は、第一回公判期日においては、「私の足が子供に触れていることは分っておりましたが、子供のどの部分に足を乗せたか分りません。私としては意識的に子供の頭とか顔に足を乗せたことはなく、子供を殺そうと思ったことは」ない旨、その後の公判廷における供述と異なり、自己の足が右男児に触れていたことを認める趣旨の陳述をしていたが、殺意及び殺害行為については、当初からこれを争っている。)更に弁護人は、右のほか、男児が出産時にはすでに死亡していた疑いが強いとして、同児が生産児であったこと自体をも争っている。

このように、本件においては、前記公訴事実中、被告人が分娩した男児がその後間もなく死亡していた事実を除くその余の全主要事実、すなわち、(1)右男児が生産児であったか否か、(2)生産児であったとして死因は何か、(3)被告人に殺意があったか、(4)被告人が公訴事実記載の殺害行為をしたかの四点がすべて争われているのであって、更に厳密にいえば、(5)被告人が同児を娩出した時刻、従ってまた、(6)仮に同児が生産児であった場合の同児の死亡時刻も必ずしも明らかであるとはいえない。そして、右公訴事実自体に関する実体上の争いに加え、本件では、被告人の捜査段階における供述(主として自白調書)の任意性及び信用性につき激しい争いがあり、右証拠上の争点が、前記実体上の争点と密接に結びついていることも、明らかなところである。そこで、以下においては、まず、右各争点に対する判断の前提として、証拠上明らかな基本的事実関係を概観したのち、順次争点に対する判断を示すこととするが、前記のとおり、被告人の捜査段階における供述の任意性及び信用性が激しく争われていること、及び主要な争点が、妊娠・出産のメカニズム、産婦の心身の状況等に関する医学的・専門的知識を必要とする特殊なものであること等にかんがみ、右判断においても、ひとまず被告人の捜査段階における供述を除外したその余の証拠(主として、専門家の鑑定意見等)により、本件嬰児の死因等をどこまで明らかにすることができるかを検討し、しかるのち、これを前提とした上で、右捜査段階の供述の証拠能力及び証拠価値の検討に移るのが相当であると考える。

第二  基本的事実関係

以下の各事実は、関係証拠上極めて明らかであって、これらの点については、検察官及び弁護人とも、これを争っていない。

一  出産に至る経緯の概略

1  被告人は、高等学校卒業後、主にデパートの店員として働いていたが、妻子あるAと情交関係を結び、一度の妊娠中絶を経たのち、実家を出て右Aと同棲を始め、同人との間に長女Bをもうけたものの、その直後、Aの不誠実さに耐えかねてBを連れて実家に戻り、家族らに対しても肩身の狭い思いをしながら暮らしていたところ、以前交際のあったC(以下、「C」という。)と再会し情交を重ねるうちに、Cとの結婚を密かに望むようになっていった。なお、被告人は、昭和五八年一〇月頃から、埼玉県浦和市〈住所省略〉所在株式会社××浦和店(以下、「××浦和店」という。)へ派遣店員として勤務していた。

2  被告人は、昭和五九年一一月頃妊娠したのち間もなく、Cに対し自己の妊娠の事実を打ち明けたところ、同人から中絶するよう求められたため、口では「ちゃんと病院へ行って堕ろす。」と答えたものの、思い悩んだ末、結局中絶をしなかった。そして、被告人は、その後Cと共にした覚せい剤使用の事実が発覚し、Cが長期間身柄拘束されたことや、被告人自身も右事実につき有罪判決(昭和六〇年六月二七日宣告、懲役一年、三年間執行猶予)を受けたこともあって、同六〇年一月(以下、同年については年の表示を省略する。)以後はCと一回も会わず、電話での会話もほとんどないまま本件に至った。Cは本件を知るまで被告人が中絶したと思っており、また被告人は職場の同僚はおろか、同居の家族にも妊娠の事実を秘したままであった。

3  本件当日(七月一六日)、被告人は、いつものとおり、自転車に乗って家を出、最寄りの駅から午前八時四四分発の電車に乗り、九時二一、二分頃浦和駅へ着いた。被告人は、出勤途上の電車内ですでに腹痛を覚えていたけれども、職場(前記××浦和店)に着いたあと、いくらか楽になったため、一〇時の開店後平常どおり仕事をしていた。被告人は、その約三〇分後に、再び痛みが増してきたので、二階の商品ストック(商品置き場)でしばらく休み、更に一一時頃からは、地下の休憩室で休憩したりしたのち、次第に激しくなってくる痛みに耐え切れず、同日午後零時頃、同店五階の医務室へ行き、同医務室勤務の看護婦D(以下、「D」という。)に対し、生理痛である旨告げた上で、同室内のベッドに横になった。

4  その後、被告人は右ベッド上で、男児(以下、「本件嬰児」又は「本件新生児」という。なお、ここにいう「嬰児」、「新生児」は、特に生産児を意味せず、死産児をも含む概念として使用する。)を出産した。

5  なお被告人が右ベッドに横になった直後頃、同じく同店店員であるE(以下、「E」という。)が、生理痛のため被告人のベッドから一つ置いた隣のベッドに入り、その後午後一時頃起きて医務室を出たことがある。

6  ところで被告人の上司にあたるF(以下、「F」という。)は、かねてより被告人の体型や挙動等から被告人が妊娠しているのではないかという疑念を持っていたが、同日被告人が医務室から戻らないことから、その容態を心配し、午後一時四〇分頃医務室を訪れてDに右疑念を告げ、被告人の様子を窺いに行ったDは、毛布の下に血液を認めたので、とっさに流産だと思ってその旨Fに告げるとともに、急いで一一九番通報した。

7  Dの知らせに驚いたFがベッドに駆けつけると、被告人は、顔面そう白ながらも辛じて意識はあり、呼びかけに対し、小さな声で、「子供が出ちゃった。」「救急車を呼ばないで。」などと応答していた。心配したDが毛布をまくり上げてみると、横臥する被告人の傍に、本件嬰児が身動きもせずに横たわっており、引続きFも右状況を目撃した。

8  他方、Dの一一九番通報により現場に駆けつけた救急隊員山崎安則(以下、「山崎」という。)は、いわゆるマウス・ツー・マウスの方法で嬰児に対し応急の救急処置を施したのち、酸素吸入をしながら被告人と同児を救急車で浦和市〈住所省略〉所在のG病院に搬送し、同病院のG医師(以下、「G医師」という。)により、同児の死亡が確認された。なお、被告人は、そのまま同病院に入院することとなった。

二  医務室の構造

本件医務室は、××浦和店(鉄筋コンクリート七階建て)五階売場の北側に位置する、四囲をほぼ壁で囲まれた洋室で、いずれも壁を隔てて、南側は呉服売場に、東側は従業員用便所、西側及び北側は従業員の通路に、それぞれ接している。その形状は、東西12.8メートル、南北6.5メートルの長方形で、北側に二か所出入口が設けられている。

同室内部のほぼ北東部には、受付用の机や衝立て等が置かれ、その南側は、東側に便所、洗い場等、中央よりやや西側に、周囲をほぼ壁で仕切られた診察室があり、医務室西端には、東西に並べられた五個のベッドがあって、いずれも枕は西方に置かれている。そして、右五個のベッドの置かれている部分のうち、ほぼ中央から南側は、右診察室の西側の壁によって他と仕切られているが、中央より北側の部分(北側の二個のベッドが置かれている部分及び中央のベッドが置かれている部分の一部)は、天井及び床との間にかなりの空間のある布製カーテンで仕切られているにすぎない(なお、北から二個目と三個目のベッドの間にも同様のカーテンによる仕切りがある。)。本件当時、被告人が横臥していたのは北から三番目(中央)のベッド、Eが横臥したのは最も南側のベッドであり、右両ベッドの間隔はわずか1.9メートルしかなく、当時Dが執務していた受付用の机と被告人が横臥していたベッドとの距離も、約九メートルにすぎなかった。

三  本件嬰児発見時の状況

Dらによる本件嬰児の発見当時、被告人は長さ一九〇センチメートル、幅九〇センチメートルのベッドにあお向けに横臥しており、制服のジャンバースカートはまくり上げられ、ガードルと生理帯は膝付近までずりおろした状態で右足首を左足に乗せた状態であった。被告人の腰の辺りには、一面に、羊水と血液が混じり合った排出液(以下、「排出液」という。)が貯留しており、本件嬰児は被告人の右大腿部付近に身動き一つしないで横たわり、また被告人の左でん部付近には胎盤があり、本件嬰児とは臍帯でつながっていた。

四  本件嬰児の体格等

本件嬰児は身長約46.0センチメートル、体重二六七〇グラムの男児で、ほぼ成熟過程にあり、外表に損傷、異常は認められなかった。胎盤は長径約17.5センチメートル、厚さ約1.8センチメートルの円盤状で、重量が約三九〇グラムであった。

五  出産時刻等

出産時刻については、前記のとおり被告人がベッドに入った午後零時頃から、Dらが嬰児を発見した午後一時四〇分頃の間であることが明らかであるに止まり、それ以上正確に時刻を特定するに足りる的確な証拠はない。午後零時五分頃から午後一時頃まで医務室内にいた前記Eが医務室を出る直前に産声を聞いたとすれば、午後一時頃と特定できることになるが、このように断定すること自体にも証拠上若干の問題があることは、後記のとおりである。

また、本件嬰児の死亡時刻についても、右と同様に、被告人が入室してから嬰児が発見されるまでという幅のある時間を指摘することができるに止まっている(発見者や救急隊員の供述によっては、発見時以前に死亡していたと考えられるに止まる。また、死体解剖における死後経過時間の所見によっても、翌一七日午前一〇時一五分からおおよそ二〇時間遡った時刻が推定されるだけで、前記以上の特定をすることはできない。)。

六  略語等

以下の叙述においては、本文中に断わるほか、次のような略語を使うことがある。

1  被告人、証人及び鑑定人の各供述については、公判廷における供述(第二七回公判期日以後)と公判調書中の供述部分(第二六回公判期日以前)とを区別せず、例えば、公判調書中の証人Dの供述部分を「D証言」、公判調書中の鑑定人鈴木直樹の供述部分を「鈴木鑑定」と表示する(なお、公判期日の回数を明記する必要のある場合には、右の表示の後ろに回数を付加し「被告人供述第八回」などと表示することもある。)。

2  書証については、以下の略語を用いることとし、作成日付を明記しなければ特定できない場合でも、昭和六〇年作成のものについては年数の表示を省略する。また、謄本、抄本、写し及び一部不同意のあるものについては、これらの表示を省略するが、当初の取調べの際に除外された部分及び第二八回公判における公判手続の更新の際に証拠として取り調べなかった部分を除くその余の部分の趣旨であることはいうまでもない。

検察官に対する供述調書  検面

司法警察員に対する供述調書 員面

司法巡査に対する供述調書  巡面

医師井出一三作成の「鑑定書」 井出鑑定

鑑定人黒田直作成の鑑定書  黒田鑑定

鑑定人我妻堯作成の鑑定書  我妻鑑定

3  被告人の供述調書については、司法警察員に対する昭和六〇年七月二三日付け供述調書を「被告人7・23員面」と表示する例による。

4  医学図書抜粋については、その表題名で表示する。

5  同一人の公判供述と供述調書、鑑定書をまとめて引用するときは「D検面等」「黒田鑑定等」と表示する例による。

第三  本件嬰児は生産児であったか。

一  鑑定意見(解剖所見)に基づく検討

本件殺人の公訴事実につき被告人を有罪と認め得るためには、本件嬰児が生産児であったことがその論理的前提とされることは当然である。そこで初めにこの点を検討することとするが、この生・死産の別に関する鑑定意見は次のとおりである。

1  井手鑑定の概要

埼玉県警察浦和警察署(以下、「浦和署」という。)からの嘱託により本件嬰児の死体解剖を行った防衛医科大学法医学教室教授医師井出一三(以下、「井出医師」という。)は、①肺浮遊試験が陽性であること、②組織学的に肺胞の拡張、展開が認められること、③胃浮遊試験において胃のみ浮遊することなどの所見により、本件嬰児が娩出後呼吸したことが認められたとして生産児であると判定した。

2  黒田鑑定の概要

これに対して、更新前の裁判所の命により本件嬰児の生・死産の別につき鑑定を行った藤田学園保健衛生大学医学部法医学教室教授黒田直(以下、「黒田」又は「黒田鑑定人」という。)は、まず生・死産の判定法の中で信頼度の最も高いものは肺臓組織像所見であるとした上で、井出医師が作成した肺臓組織標本及び黒田鑑定人自身が作成した標本について組織学的観察を実施し、その結果、通常嬰児が大気呼吸を営んだ確徴とされる限局性開大像を認めながらも、胸膜下に櫛比した開大部があること、肺胞壁が破綻している箇所もあることなどから、本件嬰児の肺臓には独自の呼吸とは無関係の強い力が気道内に向かって加えられたあとがみられると認め、上記限局性開大像が本件嬰児が生産児であったがために存在するのか、死産児であったのに強迫的人工呼吸等が加えられたためにできたものか判別はできないとして(もっとも黒田証言中には「〈本件で認められるような〉急激に空気を入れるような方法での人工呼吸では限局性開大像はできにくい。」というものもあるが、その直前には「〈そのような人工呼吸でも〉空気圧が肺臓全体に平等にいくとは限らないから限局性開大像が残ってもいいと思う。」とも証言しており、黒田鑑定等を全体として見る限り本件限局性開大像の由来が判別不能であるという結論が動かないことは明らかである。)、本件においては肺臓組織像所見によって生・死産の判定は出来ないとした。そして、同鑑定人は、次善の判別法である胃や肺の浮遊試験についても、本件においては人工呼吸が肺や胃に送気効果を及ぼして陽性の所見を残した可能性があるので、右試験による判別も不可能であるとし、更に補助的手段として声門部及び臍部の組織学的検査を実施したが判別不能だったとし、結局「以上の検査成績から客観的に結論するとすれば、生産児、死産児何れとも不明である。」と結論づけた。

3  両鑑定に基づく検討

このように、両鑑定意見の食い違いがあるのでこの点を更に検討するに、××医務室からG病院に本件嬰児を搬送した山崎が、その間マウス・ツー・マウス法及び酸素吸入法による人工呼吸を実施したことは山崎員面等によって明らかであるところ、井出医師は「人工呼吸により肺浮遊試験が陽性になるということは知らない。」「組織学的検査で肺の拡張が認められて、なお、死産児などということは有り得ない。」などと証言する。しかし、この見解は、前記黒田鑑定人のほか「現代の法医学」「法医学診断学」「法医学」等の医学文献が一致して認めている、人工呼吸の肺浮遊試験に与える影響を無視又は看過するもので、医学的に重大な欠陥があるといわざるを得ない。従って前記井出鑑定はその前提を誤ったというべきであって、この点に関する井出鑑定は、これを採用することができない。もっとも、右の点につき、検察官は、論告において、「本件で人工呼吸は死亡後約一時間も経過してなされているからその影響を過大に評価できない。」と主張するのである。しかし、仮に、山崎の行った人工呼吸が新生児の死亡後約一時間を経過したのちに行われたと仮定しても(本件嬰児の死亡時刻は前記のとおり、証拠上必ずしもこれを正確に確認することができないが)、死亡後右の程度の時間を経過したのちに行われた人工呼吸の肺浮遊試験への影響が、それが死亡直後に行われた場合と比べ違いがあるのか、あるとすればそれはどの程度のものかなどの点については、何らの証拠がなく、右論告は証拠に基づかない弁論であるといわなければならない(常識的に考えても、死亡後約一時間を経過してからとはいえ、人工呼吸によって、一旦肺胞内に強く空気が送り込まれ、肺胞壁の破綻まで生じたと考えられる本件のような場合に、その後に行われた肺や胃の浮遊試験に右人工呼吸が何らの影響を及ぼさないとは考え難い。)。

以上のとおりであって、井出医師及び黒田鑑定人が実施した検査によっては、本件嬰児の生・死産の別は不明であるといわざるを得ない。

二  その余の証拠に基づく検討

1  諸説

それでは、右に指摘した以外のその余の証拠によって、右嬰児が生産児であったと認めることができるであろうか。この点につき、黒田鑑定人は、肺や胃に関する医学的検査によって生・死産の別が判定できない場合でも、「嬰児が産声をあげたことさえ認められれば、当然に生産児と認めてよい」旨明言しており(他の鑑定人も、明言はしていないが、このことを当然の前提としていると認められる。)、右見解は、常識に合致する妥当なものと考えられるので、以下においては、娩出後本件嬰児が産声をあげた事実の有無について、順次証拠を検討することとする。

2  その余の証拠の概要

本件証拠中、嬰児の産声(らしきもの)を聞いた(ような気がする)とするものとしては、(1)E証言及び同検面(巡面)、(2)被告人の員面・検面、弁護人にあてた10・12消印の手紙、及び公判廷における供述がある。右のうち、被告人の員面・検面については、その証拠能力自体が激しく争われているので、ひとまずこれを除外し、まずその余の証拠の概要を示すと、次のとおりである。

(1) E検面等

Eは、被告人が本件嬰児を出産した時刻頃、同じ医務室内の一つ置いた隣のベッドで横臥していたとされる××浦和店の店員であるが、更新前の裁判所が第五回公判において同意書面として取り調べた同人の検面(右検面の証拠能力も争われているが、この点についてはのちにやや詳しく触れる。)には、概ね、「当日、気分がすぐれず、正午頃医務室へ行って一番奥のベッドに横になり、知らぬ間に寝込んでしまった。寝ているうちに、夢の中のように思ったが、オギャーオギャーという赤ん坊の泣き声が聞こえて目を覚まし、ボーとした状態でいたところ、二、三分してまたオギャーオギャーという赤ん坊の泣き声が聞こえた。しかし、赤ん坊の姿も見えず不気味になったので、ひとつ置いた隣のベッドに寝ている女の人の左横のカーテンのところまで歩いて行って向こう側をのぞいたが誰も居らず、ますます不気味に思ったので、自分のベッドに戻り靴下をはいて医務室を出た。」旨の記載があり、また、当裁判所が第二九回公判期日において、刑訴法三二八条所定の書面として取り調べた同人の巡面(その証拠法上の意義については、後述する。)にも、その聞いた声が「オギャーオギャーという赤ん坊の泣き声のような声」であったとする以外、検面とほぼ同旨の記載がある。これらの供述は、捜査官に対するものであるとはいえ、嬰児特有の泣き声を聞いて目を覚まし、不気味になって医務室を出たという極めて特異な体験を明確、かつ、具体的に語るものとして注目されるものである。

(2) E証言

これに対し、E証言(第六回公判調書中の供述部分)は、右検面等とかなり趣きを異にし、「生理痛のため疲れて一番奥のベッドで寝入っていたので、うっすらなんかうるさいなあという感じで音は聞こえたが、何の音かはっきりとはわからなかった。」、「休憩室の方で誰かが騒いでいるのかと思った。」、「うっすらとしか覚えていないので音を聞いた回数はわからない。」、「医務室を出たのも、生理痛が直らなかったためであり、不気味に思ったからではない。」などとするものであるが、他方、同証言中には、「要するに、赤ちゃんと言われれば『オギャー』というような泣き声はしたような感じもしたんですよね。よく覚えてないんですよ。」(一八三丁)とか、「赤ちゃんの声と言われれば赤ちゃんの声が聞こえました。」(一八九丁)、あるいは、「何かが聞こえたというのは言えますけど、そう言えば、赤ちゃんの声だったでしょうということを言われれば、あっ、そう言えばおぎゃおぎゃと言ってたなという、そういう感じ方しか、今覚えていない。」(二〇四丁)などとする部分もあり、同人は、公判廷においても、赤ん坊の声らしきものを聞いたとする限度では、捜査段階の供述を維持していると考えてよい。

(3) 被告人の公判供述及び弁護人に対する手紙

この点に関する被告人公判供述及び弁護人に対する手紙は、「はっきりしないが、生れたという感じがしたあとしばらくして、小さな泣き声を聞いたような気がする。」とする点でほぼ一貫しているが、その声の状況、聞いた泣き声の回数等については、「ずうっと泣いていた気もするし、一回泣いただけのような気もする」(九回、一二回)、「フギャという感じ」(一七回)、「オギャーという響く感じ」(二二回)、「回数は分からない」(二三回)、「フギャーというような小さい声で響いているような感じ」(二九回)、「虚脱感の中で、ぼんやりと子供の泣き声が聞こえました。……女子社員の人がベッドから起き上がった二回とも赤ん坊の泣き声がしたということから、二回泣いた事になりましたが、私としては、一回は確かに聞きましたが、もう一回は泣いたかどうか分かりません。なにしろ、赤ん坊の泣き声は、耳についていて、泣いているようにも聞こえたし、泣いていないようでもありました。」(10・12消印の手紙)など、その都度微妙に表現を異にしている。

3  E検面について

(1) 証拠能力

前記各証拠のうち、E検面については、弁護人がその証拠能力を争っているので、まずその点について検討する。

記録によると、E検面は、第二回公判期日において、弁護人が、一部不同意部分を除き、一旦証拠とすることに同意したのち、いまだその取調べがなされていない右公判期日の翌日付けの書面により右同意書を撤回する旨の意向を表明し、第三回公判期日において右書面に基づき同意を撤回しようとしたこと、しかし、更新前の裁判所は、右同意の撤回を許さず、右公判期日において、当初弁護人が同意した部分につきその取調べを行ったことなどの事実が明らかである。しかして、書証に対する同意・不同意の意見を述べるというような訴訟行為は、当該書証の取調べが行われるまでは、撤回を認めることにより著しい訴訟手続の混乱を招来するような特別の事情がある場合を除き、原則として許されるべきであると考えられるのであり、本件において、第二回公判期日の翌日直ちに書面を提出して行った弁護人の撤回の申出を許さなかった更新前の裁判所の措置は問題であったといわなければならない。しかし、弁護人は、第三回公判期日における右撤回不許の裁判に対し何ら異議を申し立てておらず、右書証は直ちに取り調べられていること、のみならず、弁護人は、当裁判所による弁論の更新手続の際にも、更新前の手続において取り調べられた証拠のうち、自白調書及び実況見分調書中の立会人の指示説明部分等について、その証拠能力の欠如を指摘し、証拠として取り調べるべきでない旨詳細に主張したに止まり、E検面の証拠能力については何らの異議を唱えていないことなども明らかであって、これらの諸点に照らすと、最終弁論の段階において、突如E検面に対する同意の撤回不許の裁判の違法を指摘する弁護人の主張は、いささか時機を失したものといわざるを得ない。その上、もし、本件において、E検面に対し弁護人が当初から不同意の意見を述べたとすれば、検察官は当然同人を証人として申請したと考えられ、その結果同人が、検察官の主尋問に対し、現に弁護人側の証人として証言したのと同旨の証言をした場合には、検察官としては、その証言を弾劾した上、検面を刑訴法三二一条一項二号所定の書面として申請する機会があった筈であるから、現段階において更新前の裁判所の同意撤回不許の裁判を違法として、E検面の証拠能力を否定し、これを証拠から排除することは、検察官の訴訟上の権利行使の機会を奪い、訴訟手続を著しく混乱させる結果となることが明らかである。従って、当裁判所としては、法的安定性を尊重する立場から、E検面の証拠能力はこれを否定することなく、その信用性について判断することとした。

(なお、更新前の裁判所が、E検面を同意書面として取り調べたのち、弁護人の申請により、同人を証人として取り調べたところ、同人は、前記のとおり、検面とはかなり趣きを異にした証言をしたという経緯に照らすと、本件は、いささか変則的ではあるが、証人が検察官の主尋問に対し、検面と同趣旨の供述をしたのち、弁護人の反対尋問によりこれと異なる供述をした場合〈すなわち、主尋問に対する供述が反対尋問により弾劾された場合〉と実質上同視してよいと考えられる。そうすると、右検面以前に作成された同人の巡面は、いわゆる回復証拠として、刑訴法三二八条により証拠能力を取得すると解すべきである。)

(2) 信用性

そこで、右各供述の信用性について検討する。

まず、E供述について考えると、Eの供述が、捜査段階と公判段階とで、前記のような顕著なくいちがいを来たした理由は、証拠上明らかではない。弁護人は、同人がこれまで被告人と面識がなく、何らの利害関係を持たない者であることを強調して、公判廷における証言こそ真相に合致していると主張する一方、検面については、その作成経過に、誘導等不当な尋問を制限する手段がなく、同人の「そう言われればそんな気もする。」という程度のあいまいな供述が、前記のとおり断定的に要約録取されたものであるとして、その信用性を争っている。

確かに、Eが被告人と従前面識のない第三者であることは、弁護人主張のとおりであるが、同人が、被告人と面識こそ有しないにしても、かつて被告人と同じ職場で働いた女性として、その面前では、被告人に決定的に不利益となる事実をあからさまに証言することを差し控えたいという心理に陥ることはあり得ないことではないから、同人が被告人と利害関係を有しないということだけからでは、公判証言の方が捜査段階の供述よりも格段に信用性が高いということにはならない。また、検面の作成経過に、弁護人の指摘するような、事実と異なる供述の録取される契機の介在することは、採証上留意を要することにはちがいないが、それにしても、E検面中には、E以外には知る人のない、従って、捜査官において誘導することが不可能又は困難と思われる事項(例えば、Eが、泣き声を聞いたあと、不気味に思って、カーテンの向う側をのぞきに言ったとする点など)も含まれているのであって、右検面の作成経過に関する弁護人の指摘のみによって、同検面の信用性が著しく低いということはできない。そして、何よりも、同人は、公判廷においてすら、前記のとおり、赤ん坊の泣き声らしきものを聞いたとする限度では、捜査段階の供述を維持しているのであって、これらの点からすると、嬰児の泣き声を聞いたとするE検面の信用性に疑問の余地はないとする検察官の主張には、傾聴すべきものがあるように思われないではない。

4  被告人の公判供述及び弁護人に対する手紙について

次に、被告人の供述について考えるのに、弁護人は、前記のような被告人の公判供述等に信用性が乏しい理由として、「被告人には、分娩直後の不安定な精神状態のもとで、子供が産まれたという心理的構えが存したために、耳に届いた他の音を本件嬰児の産声と誤認してしまった可能性がある。」という点を挙げている。

確かに、人が一定の出来事を予め予期していた場合に、現実には発生していない右出来事に関する物音を聞いたような気がしたり、他の物音を右出来事に関する物音と誤認することのあり得ることは、弁護人の主張するとおりであると認められ、特に、本件における被告人のように、勤務先の医務室で人知れず嬰児を出産した女性の極めて特殊な心理的・肉体的条件を考えると、右弁護人の主張を一概に荒唐無稽の主張として一蹴し去ることはできないであろう。

しかし、本件における被告人のこの点に関する供述の要旨は「産まれたという感じがしたあとしばらくして、小さな泣き声が聞こえた気がする。」というほぼ一貫したものであるところ(被告人供述第二三回には、「『オギャー』と響く感じ」という表現もあるが、すぐあとで「強い声ではなかった」と述べており、小さな声だったことを否定する趣旨ではない。)、右供述によって表現された状況は、①娩出と時間的な間隔があったという点、及び②産声が赤ん坊特有の甲高い声ではなかったとする点の二点において、一般に考えられている出産直後の嬰児の泣き声とは顕著に異なる独特なものであり、弁護人の主張するように、被告人が、出産に対する心理的構えのため他の物音を嬰児の泣き声と誤認したと考えるには、いささか無理がある。また、後述するように、本件嬰児は、仮死の状態で出産された蓋然性が高いと認められるが、被告人の前記供述は、被告人が、仮死状態の新生児が発した弱々しい産声を聞いたものと考えると、ほぼ素直に理解することができること、他の物音といっても、弁護人が産声と聞き違えたと主張するものは、医務室外でした物音であり、いかに出産直後の産婦といえども、このような物音を新生児の産声と聞き違えるとは、通常考え難いことなどの諸点を総合勘案すると、被告人の公判供述の趣旨に関する弁護人の主張に全面的に賛同するには、なお躊躇させるものがある。従って、被告人の公判供述は、本件嬰児が出産後産声をあげた事実を認めさせるかなり有力な証拠であるといわなければならない。

5  健常児であると認定することの障害となり得る証拠の存在について

しかし、他方、本件については、本件嬰児が、出産後産声をあげた(特に、健常な新生児特有のオギャーオギャーという泣き声をあげた)と認めることの障害となり得る証拠もいくつか存在するので、以下、右の点について検討する。

(1) D供述等

まず、××浦和店医務室の看護婦で、被告人が分娩した当時、医者と話をしたりして医務室内にいたDは、捜査段階以来ほぼ一貫して、「当日、午後はずっと医務室の入口に近いところの机にいたが、赤ちゃんの泣き声は聞いていない。」旨明言しており、また、当日午後一時ころ出勤してきたとされる医師やその他の第三者の中にも、他に、新生児の泣き声を聞いたとする者は見当らない。

ところで、本件医務室の構造等は、前記第二、二認定のとおりであって、被告人は、右医務室の西端に、東西の向きで五個並べられた中央のベッドに、西を枕にして横臥していたものであり、右医務室の東側近くの机に座っていたDとの距離は、いずれにしても、一〇メートルに満たないこと、被告人の横臥するベッドの東側には、同室の南側に接着する形で診察室があり、両名は、右診察室により一応隔てられた形にはなっているが、ベッドの東側の一部及び北側は、天井及び床との間にかなりの空間のある布製カーテンによって仕切られているだけであり、また、出産時被告人の身体上には、毛布一枚が掛けられていたに止まるのであって、他に、被告人とDとの間に音声をさえぎるしゃへい物は全くないことなどの事実が明らかである。そして医務室は、北側の二個の出入り口(もちろん、通常は閉じられている。)を除き、四方をすべて壁で囲繞され、室内の冷房や換気扇の音がしているほか、隣接する通路などからある程度の音が入りこむ余地はあるが、いずれにしても医務室として必要な静ひつがほぼ保たれていたと認めることができる。従って、このような状況のもとにおいて、もし、本件嬰児が、出産後、オギャーオギャーという健常な新生児に特有な産声をあげたことがあったとすれば、たとえ、Dが医師その他の第三者と雑談をしていたり、あるいは、仮りに、店内に放送される音楽が医務室内に静かに流れこんでいるようなことがあったとしても、看護婦であるD(しかも、検察官の主張によれば、助産婦の資格をも有するというD)が、これを聞きのがすというようなことは、常識的にみて通常考え難いことといわなければならない。

(2) 鈴木鑑定、我妻鑑定等

そして、現に産婦人科の開業医として多年の経験を有する鈴木直樹鑑定人(以下、「鈴木鑑定人」という。)及び国立病院医療センター国際医療協力部長であり産婦人科の臨床経験も長い我妻堯鑑定人(以下、「我妻鑑定人」という。)は、「健常な正常児の初発自発呼吸による産声が発せられた場合、本件医務室程度の部屋にいた者が産声に気付かないということは、誰かと話をしていたというような事情があったにせよ有り得ない」旨一致して断言し、右の点を一つの根拠として、「本件嬰児が仮死状態で産まれた可能性が高い。」と推論しているのである。すなわち、我妻鑑定等は、「新生児仮死とは胎児が娩出する過程において高度の低酸素状態が起こり胎児中枢神経内の呼吸中枢の活動が抑制されたままで娩出し新生児の呼吸が自発的に確立され難い状態をいい、軽度の仮死ならばほとんど全ての場合に蘇生術を必要とし、胎児仮死が極めて重症であれば胎児は分娩前に死亡する。」とした上で、本件新生児が仮死であった可能性が高いと考える根拠として、①前記のとおり、新生児の産声がごく小さかったと考えられることのほか、②通常の場合、胎盤は約五〇〇グラムの重量があるのに、本件では約三九〇グラムしかなく、このことは、胎盤機能不全及びその結果としての胎児仮死の可能性が高いことを示唆すること、③分娩時間は、経産婦の場合でも通常六ないし八時間を要するのに、本件ではこれよりかなり早く、また、通常の陣痛(子宮収縮)の場合、痛みは一定の間隔を置いてくるのに対し、本件では間断のない痛みがきており、子宮収縮が極めて短かい周期でくり返されたと認められ、更に、通常は、第三者が励まさないと産まれないのに、被告人は、誰の介助もなしに嬰児を娩出したということなどからみても、本件では、陣痛が異常に強く、胎児仮死の原因となる子宮、胎盤血流量の減少が起こった可能性が高いことなどの点を挙げている。そして、右の点については、鈴木鑑定も、ほぼ同旨の見解を示している。右のとおり本件においては、産婦人科医として多年の臨床経験を有する我妻・鈴木の両名がほぼ一致して、具体的な論拠を挙げて、本件嬰児が仮死状態で出産された可能性が高いとしているのであり、右各鑑定等が示す根拠は、いずれも証拠と符合し合理的なものと考えられるから、右の点は、少なくとも、医務室内で、健常な新生児の産声を聞いたとする趣旨に解される前記E検面の信用性に重大な疑問を提起するものというべきである。

(3) 本件嬰児の死体解剖結果

更に、右の点を別としても、本件嬰児の死体の解剖結果には、法医学上、一般に生死産児の判別上消極に働く(すなわち、死産児の認定の根拠となり得る)いくつかの顕著な徴候の存することも、ほぼ弁護人の指摘するとおりである。すなわち、井出鑑定(同鑑定の別表としてのちに提出された四枚綴りの表を含む。以下、同じ。)及び黒田鑑定等によれば、解剖時の本件嬰児は、①左右の肺の重量が合計40.9グラムしかなかったこと、②肺縁が鋭角的であったこと、③横隔膜が、左右いずれも第四肋骨までしか下りておらず、その位置が高かったこと、④声門部の炎症像が見られなかったこと、⑤産瘤が存在しなかったこと、⑥臍輪部に生理的な変化が無かったことなどの諸点が認められる。他方、弁護人提出の「法医学」、「法医診断学」及び「現代の法医学」等法医学に関する各種文献によると、新生児が空気呼吸を開始すると、①'肺循環も確立し、肺内血管に血液が充満して重量が増加すること(死産児の場合には、三〇ないし四〇グラムに止まるのに対し、六〇グラム内外に達するのが通常である。)、②'肺が容積を増して心のう前面を覆い、縁辺も鈍となること、③'横隔膜も第五〜六肋骨の高さまで下がってくること、④'空気呼吸に伴い、声帯ヒダの上被細胞の脱落、ヒダ内出血等の炎症像を生ずるのが通常であること、また、⑤'生産児の場合には、通常、先進部周囲に生理的変化ともいうべき産瘤を生ずること、更に、⑥'生産児では、生後一時間以上を経ると、臍帯・臍輪移行部に細胞浸潤が認められることなどが指摘されており、これらの点も、生・死産児判別の際に考慮されるべき事項であるとされている。本件嬰児の死体の所見中前記⑥の点は、出産後いずれにしても極めて短時間内に同児が死亡したとみられる本件においては、右⑥'の指摘に照らし、生・死産の判別上ほとんど考慮する必要がないと考えられるが、それ以外の①ないし⑤の点は、右①'ないし⑤'の指摘に照らし、本件嬰児が生産児であった(少なくとも、健常な生産児として産声を発した)と認める上でかなりの障害となる事由であるといわなければならない。もっとも、黒田鑑定等によれば、右①'ないし⑤'の点は、生産児の判定と絶対に相容れないものでなく、通常、補助的な資料として使用されるに止まるとされているが、補助的な判断資料ではあるにせよ、本件嬰児を生産児(それも健常な)であったと認定する上で障害となり得る徴候が、これほど多数認められるということは、前記(1)(2)の点と併せ、少なくとも、前掲E検面の信用性を相当程度動揺させるものといわなければならない。

6  総合的検討

そこで、右5に指摘した点を踏まえた上で、E検面等の信用性についてもう一度考えてみるのに、G証言及び同人作成のカルテの写しによれば、G病院に入院した被告人が当初からG医師に対し、児が涕泣した旨告げていた事実が認められ、右情報は、当然本件捜査を担当したIら捜査官にもたらされていたと考えてよいであろうから、右I及び主任検事であるJ検事らは、当然、本件嬰児が健常な新生児であったと思い込み、そのような前提でEを取り調べた可能性が大きいと考えられる。そして、そのような前提で取調べを受けたとすれば、たとえEが、睡眠中何らかの音を聞いて目を覚まし、不気味になって部屋を出たという程度の不確かな記憶しか有していなかったとしても、現実に赤ん坊の泣き声又は泣き声らしい音を聞いたように思い込み、そのように供述することは必ずしもあり得ないことではないと思われるのであって、E検面中、前記5指摘の客観的証拠により認められる状況と抵触する部分(すなわち、「オギャーオギャーという赤ん坊の声で目を覚まし、二、三分して、オギャーオギャーという泣き声を再び聞いた。」とする部分)をそのまま信用するのは危険であるということにならざるを得ない。

もっとも、E検面中右泣き声に関する部分は、「生理痛のため寝込んでいたところ、物音で目を覚まし、しばらくして再び物音を聞いたため、不気味になって、被告人が寝ているベッドの向う側のカーテンのところまで歩いて行ってのぞいたが誰もいないため、ますます不気味になって医務室を出た。」という、極めて特異な体験と密接に結びつけられているのであり、右特異な体験に関する供述が、捜査官の誘導によってなされたとは考え難い上、同人が公判廷においても、「赤ん坊の声といえば赤ん坊の声のようなものを聞いた。」旨証言していることからすると、E検面中の「赤ん坊の声を聞いた」とする部分の信用性も、また否定し難いという反論も予想される。しかし、Eが、当時、睡眠中又は睡眠からの半覚せいの状態であったことを考えると、同人が、真実は赤ん坊の泣き声でない他の物音を聞いたのに、前記のような取調べの結果、自分が聞いたのが、赤ん坊の声であったように思い込むことは、必ずしもあり得ないことではないように思われる。そして、現実にも、本件当時の状況からすれば、睡眠中又は半覚せいのEが、それを聞いて不気味になるような物音をその身辺で聞いた可能性はないわけではないのである。すなわち、被告人は、従前、捜査・公判を問わず、出産中声をたてなかったとする趣旨の供述をしており、検察官はもちろん弁護人も右供述の信用性を疑ってはいないが、いかに辛抱強い被告人といえども、陣痛の高まりとともに大騒ぎをする女性が多いとされている出産を迎えながら、始終うめき声一つ発しなかったとはにわかに信じ難いことであるから、被告人の一つ置いた隣のベッドで横臥していたEが、被告人が出産の痛みに耐えかねて思わず漏らしたうめき声を聞いて不気味になり、前記のような行動に出た可能性は、決して小さいものではないと考えられるのである。そして、Eが睡眠中右物音を聞いて目を覚ましたとされていることからすると、特に同人が聞いた最初の物音が、一声や二声限りのごく弱い泣き声ではなく、いま少し継続的なものであった可能性が強いこと、もし、同人が聞いた物音が、二回とも新生児の産声であったとすると、本件嬰児は最初の産声を発したのち、二、三分もの間隔を置いて再び産声を発したことになり、右検面はその記載自体に照らし不合理となること、これに対し、特に第一回目の物音が被告人の発したうめき声等であったとすれば、右検面の不合理性はたちまち解消することなどの点が、右可能性をいっそう現実性を帯びたものに高めているといってよいであろう。

7  生死産児の別に関する結論

以上の検討の結果によると、まず、本件嬰児が健常な新生児の産声を発したと認めるには、証拠上合理的な疑いの残ることが明らかであって、同児は、仮りに生産児であったとしても、我妻・鈴木両鑑定の示唆するとおり、自発呼吸の確立され難い状態で娩出された仮死産児であり、出産後、ごく弱い声をわずかに発したに止まるものと認めるほかはない。もちろん、弁護人の指摘する死産の疑いも全くないわけではないが、前記のとおり、Eはもとより被告人も、公判廷において、赤ん坊の泣き声又は泣き声のような声を聞いたような気がする旨供述していること、右のうち、特に被告人の供述は、本件嬰児が生産児であったことを窺わせるかなり有力な証拠であること、右嬰児が仮死産であったと考えれば、前記5指摘の状況も、これと正面から矛盾・抵触するものではないことなどの諸点からすると、右嬰児が生産児ではなかった疑いは、いまだ同児を生産児と認定するのに妨げとなる程度に達しているとは考えられないので、当裁判所は、同児は生産児(仮死産児)であったものと認定することとする。

第四  本件嬰児の死因

一  各鑑定意見の概要

次に問題となるのは、一旦生産児として産まれた本件嬰児がその直後死亡するに至った原因である。死因についても各鑑定意見が食い違うのでこれをまず概観してみる。

1  井出鑑定

井出鑑定は「①血液が暗赤色流動性であり、②肺肋膜下の溢血点が散在性に認められ、③諸実質性臓器に強いうっ血が認められ、これらはしばしば窒息の際に認められる所見であり、その他には死因となるような損傷、異常または生存を妨げるような奇形、病変が認められないことから窒息死と認められる。そこで窒息の原因を検討するが、羊水吸引については本件でみられるような生理的域を越えていない程度の吸引は生後吸収される程度のものと推定できるから否定される。頸部圧迫については顔面のうっ血等が認められず頸部には積極的な外力の作用した痕跡が認められないから否定される。気道内異物吸引については気管及び気管支内が空虚で乳汁その他の介在を認めないので否定される。結局窒息の直接の原因について明言することは困難であり、鼻口部にも明確な外力の作用した痕跡を認めないが、以上を総括して考えると鼻口部閉塞による窒息の可能性が大である。」というものである。

2  黒田鑑定

黒田鑑定の結論が生・死産不明というものであったことは前記のとおりであるが、黒田鑑定人は「仮に生産児であったら」との仮定の上で死因(特に羊水吸引によって窒息死した可能性の有無)についての鑑定を行い、「本件新生児は発育充分であり成育不能の重大な奇形、重症を有する痕跡はない。分娩経過中に被り、出産しても回復しない重大な事態は証明されていない。羊膜で鼻口部を閉塞されたまま娩出された事実はない。臍帯の断端処理が悪くあるいは先天性出血性素因のため異常出血を来した徴候はない。異常分娩に晒された所見もない。」として窒息死以外の可能性を否定し、「井出鑑定が窒息の根拠とした所見のうち、肺胸膜下、頭皮下に散在性溢血点があること、諸臓器の静脈性うっ血が強いことは確認することができ(井出鑑定の②③と多少表現が違うが、内容的にはほぼ同旨と認められる。)、井出鑑定のうち死因を窒息とした部分は是認できる。しかし鼻口部閉塞が窒息死の原因となったというのは単なる一つの可能性にすぎず、客観的に厳密な見解としては原因・手段・方法不明の窒息と捉えるのが正しい。」と結論づけた。そしてさらにいくつかの窒息の原因について検討し、「羊水吸引については、肺臓内呼吸面がたとえ暴力的な力によったとしても一時的には外界と連絡していたことと羊水成分集積部も全体の肺容積からするとごく一部にすぎないことからその可能性は甚だ小さい。頭部の自重のみで窒息するまで鼻口部を閉塞し続け得る可能性はある。」として、結論的に鼻口部圧迫による窒息を推定した。

3  我妻鑑定

我妻鑑定人は出産事故による死亡の可能性について鑑定し、前記のとおり①産声が小さく、②胎盤機能不全が存在した可能性があり、③過強陣痛が起こった可能性があることから、仮死であった可能性が高いとし、「その仮死のために自発呼吸が起こり難い状態の上に必要な蘇生術を受けることもできず、その上にうつ伏せの姿勢となって顔面が羊水、血液の中に浸り気道が閉塞されたために、引き続いて持続的な呼吸の確立が困難になり死に至った可能性が高い。」と結論づけた。

二  鑑定により明らかな結論

以上の各鑑定によれば、少なくとも本件新生児がいわゆる窒息により死亡したと認めるのが相当である。すなわち井出鑑定が三つの所見を指摘した上その他の死因を示す所見が無いことから窒息死と結論づけた点については、黒田鑑定も、過程・結論とも異論のないところであるし、さらに我妻鑑定もこれを当然の前提としており、その他これに反する証拠はない。もっとも「窒息」とは息をしている者が息の根を止められて酸素欠乏になってしまうことであり、呼吸が確立する前に酸素欠乏になった場合をも「窒息」と呼称するのは、厳密な言葉の使用法としてはやや適切を欠くことが我妻証言によって指摘されている。そこで、以下においては、前記のとおり我妻鑑定の推定する呼吸の確立以前の死亡をも含め、前記三鑑定が一致して推定する本件嬰児の死因として、「酸欠死」という言葉を用いることとする(従って、ここでの結論は、本件嬰児が酸欠死したと認められるということに帰着する。)。

三  羊水吸引による酸欠死の原因について

まず本件公判の初期の段階から中心的な争点とされていた羊水吸引による酸欠死について検討する。もっとも「羊水吸引による酸欠死」の中には大別して①羊水が肺臓の呼吸面に膜を作り内呼吸(肺胞におけるガス交換)を阻害するものと、②羊水(等の異物)が気道を塞いで外呼吸を阻害するものの二種類があることが井出証言から明らかであり、この①②はそれぞれ別個に検討する必要がある。更に本件では、分娩後介助がなされなかったという特殊事情があるため、②の中でも、②―ア母体内で羊水(等の異物)を吸引するもの(通常の分娩でもあるもの)と、②―イ分娩後貯留していた羊水(等の異物)を吸引するもの(特に本件で考えられるもの)を区別して検討するのが相当である。

1  羊水吸引による内呼吸阻害について

初めに羊水吸引による内呼吸阻害につき検討する。この点について井出鑑定及び黒田鑑定は肺臓組織検査を実施した結果、肺臓組織内に羊水成分の集積があることを認めながらも、「その量が生理的な範囲に留まることから否定される。」(井出鑑定)、「肺臓内呼吸面が一時的には外界と連絡していたことと肺容積のうち羊水成分集積部の占める割合がごく小さいことからその可能性は甚だ小さい。」(黒田鑑定)とした。

しかし井出証言を仔細に検討してみても、前記「生理的範囲内に当たるか否か」がどの様な基準により判断されるものであるかとの質問に対し明確な回答を与えることができずに終わっているばかりか、「本件では肺の拡張が十分であることの対比において、吸引した羊水の量が生理的範囲に納まっているといえる。」と説明しているところ、本件では肺が人工呼吸の影響により展開した可能性が高いことが前記のとおり明らかであり、これによれば井出鑑定のこの点に関する論拠もその前提が崩れることになる。

更に弁護人は、井出鑑定に対し、①本件嬰児が子宮内発育遅滞児(我妻鑑定人は本件嬰児が妊娠三八、九週に出産しているのに体重が二七六〇グラム《二六七〇グラムのまちがい》しかないので子宮内発育遅滞児であると推測している。)であることを考慮していない、②井出医師作成の死体検案書に死因が「羊水吸引による窒息(推定)」と記載されていたとして疑問を投げかけているところ、少なくとも右②については井出医師が死体検案書の死因欄に「羊水吸引(推定)」と記載したことは事実である。もっとも、同医師はこの疑問点につき「埋葬許可のための書類にすぎず、あくまで便宜的に記載した。」と説明するが、前記の疑問点と併せ考えるとき、やはり井出鑑定の信頼性は相当程度減殺されているといわざるを得ない。

以上の点からすると、たとえ黒田が羊水成分集積部の割合について「肺臓全体の呼吸面の数パーセントにすぎない」と明言していることにはかなりの信頼度があることを考慮しても、羊水吸引による内呼吸阻害が酸欠死の原因となった疑いは、完全には否定されないと認められる。

2  異物吸引による気道確保の存否について

次に、母体内で気道内(口腔、鼻腔、気管及び気管支など)に羊水等の異物を吸引し、分娩後気道確保がなされなかったために酸欠死した可能性について検討する。

この点につき井出鑑定は前記のとおり、気道内が空虚であったとしてその可能性を否定した。これに対して弁護人は、「井出鑑定は、山崎及びG病院の医師によって行われた鼻腔・口腔の清掃を見落としているので誤りである。」と主張するところ、この点については黒田も、「気管の一部に羊水が固まった疑塊が詰まったような場合は呼吸の障害になると思うがそういう所見はない。井出鑑定には気管を開けた写真も添付されている(写真7)が、それを見る限り気管に異物がはまり込んでいたとは思えない。」と証言し、弁護人が鼻腔、口腔の清掃の点を指摘しながら尋問したのに対しても否定的な口吻をもらしていることに照らすと、一見これを原因とする酸欠死は否定してよいように思われないでもない。

しかしながら、娩出された新生児の気道には羊水、血液等が吸入されているのが一般であり、気管カテーテル等による気道確保を行うことが、分娩介助をする医師や助産婦にとっての当然の処置であることはG証言、鈴木鑑定、我妻鑑定が明言するところであるにもかかわらず、本件においてこのような気道確保の措置が一切採られていなかったことは気道内異物吸引の可能性を高度に推測させるものであり、「本件嬰児の口腔に存在した何らかの異物を取り除いた。」という救急隊員山崎の証言等はこれを裏付けるものである。また黒田鑑定人も「羊水が部分的にまとまって上部気道辺りにあった場合の酸欠の可能性までは否定しきれない。」と証言しており、気道内の異物による酸欠死の可能性を全く否定しているわけではない。そして以上の点に加え、本件嬰児が仮死であった可能性が高く(前記のとおり)、仮死の場合に健常な新生児に比べて自発呼吸が起こり難いこと(我妻鑑定等、鈴木鑑定から明らか)によれば、本件において気道確保がなされなかったことによる酸欠死を否定することはなおさらできないといわざるを得ない。

3  ベッド上の貯留排出液吸引による気道閉塞について

次に、本件嬰児がベッド上の羊水等を吸引して気道閉塞を起こし酸欠に陥った可能性を検討する。

まず第一に、本件嬰児の娩出からある程度の時間が経過した発見時においてさえ、被告人の腰部付近に羊水や血液等(以下「排出液」という。)が乾ききらずに貯留していたことは、現場を目撃したD、F及び山崎が一致して認めるところである。もっとも山崎は、「本件嬰児はうつ伏せの姿勢で排出液に顔を漬ける形で横たわっていた」と証言するのに対し、Dは「ややうつ伏せの顔を被告人のお尻方向に向けていた」、Fは「顔をベッドの横の方(被告人のでん部とは逆方向)に向けながら排出液に浸らせていたが鼻まで浸かるというほどではなかった」などと顔を排出液に漬けていたことには否定的な証言をしているところ、山崎と他の二人の食い違いについては目撃の時刻が異なるから一応理解できるとしても、同時に目撃した筈のDとFが顔の向きを全く逆に証言しているのはどららかあるいは双方が意外な事態に慌てて見誤ったとしか説明できず、いずれにせよDとFのこの点に関する証言を重視することは妥当でない。従って、本件嬰児は、少なくとも発見された時には、ベッド上に貯留していた排出液に顔を漬けていたと認めるのが相当である。

ところで我妻鑑定によれば、介助者がいない頭位分娩の場合、胎児の頭部が膣口を出る際に顔面は母体の背中の方向を向いており、その後障害物がなければ顔面は左右いずれかに回転するが、母体の大腿が充分に開かれていなかったり下着などの障害物があれば、顔面は床の方を向いたままで胴体の方が頭部の方向に回転し結果としてうつ伏せの姿勢をとる可能性が高いと認められるところ、被告人が本件分娩時にガードル、生理帯を両膝付近に着けたままであったことは証拠上明らかであり、これら下着の存在が大腿を充分に開くことの障害となることは弁護人作成の実況見分調書によっても推認され、以上によれば本件嬰児が娩出直後うつ伏せになった可能性は極めて高いと考えられる。

右に検討した事情の他、本件嬰児の口腔内に異物があったことを併せ考えれば、同児が分娩後ベッド上に貯留した排出液を吸引して気道内に詰まらせ酸欠死に至った可能性は、(同児にこれを吸引する力があったことを前提とすれば)これを否定することができないといわなければならない。

四  鼻口部閉塞による酸欠について

そこで次に、井出鑑定及び黒田鑑定が一致して本件死因と推定し、我妻鑑定でもその推定する死亡態様の重要な部分とされている「鼻口部閉塞による酸欠死」(ここでは前記の羊水による閉塞を除く)について検討する。

1  本件嬰児の鼻口部に明確な外力の作用した痕跡が認められないことは井出鑑定から明らかであるが、娩出直後の新生児はごく弱い力でも鼻口部が閉塞されてしまうので、痕跡がないからといって鼻口部閉塞による酸欠死が否定されるわけではないことは各鑑定の当然の前提とされていると認められる。そしてこのように鼻口部閉塞を積極的に推認させる所見が特に認められないのに、各鑑定がこの鼻口部閉塞を推定しているのは、新生児の鼻口部が布団等でいともたやすく閉塞されてしまうことが日常よくあることである上、本件嬰児のまわりには、布団・毛布、被告人の身体など鼻口部を閉塞する可能性のある物が多数あったことに基づくものと思われ、この推定は常識に合致し説得力に富むというべきであろう。従って、前記のとおり羊水吸引による酸欠死の可能性が残るにせよ、鼻口部閉塞による酸欠死の可能性は、やはり、想定される死因の中で最も有力なものの一つと考えてよい。

2  そうすると、次の問題は、鼻口部閉塞を引き起こした原因は何かという点である。本件嬰児の鼻口部には何らの痕跡もないのであるから、医学上の所見のみによってその原因を特定することはできない筈である。その意味で井出鑑定が鼻口部閉塞の原因を「他為による」としたことは妥当でないといわねばならないから、以下においては、鼻口部閉塞を引き起こした蓋然性のある事象で、前記客観的証拠と抵触しないものを、並列的に指摘・検討するにとどめることとした。

3  まず本件公訴事実たる被告人の大腿部の押し付け行為が鼻口部閉塞を引き起こした可能性について検討するに、本件嬰児の頭部顔部に特記するような痕跡が認められないことは井出鑑定から明らかであるが、痕跡がないことが可能性を否定するものではないことは前記のとおりである。

4  次に本件嬰児がその頭部自体の重みで鼻口部が閉塞された可能性につき検討するに、本件嬰児がうつ伏せの姿勢で娩出された可能性が極めて高いことは前記のとおりであるから頭部自重のみによって鼻口部閉塞が引き起こされたと考える余地は充分あると思われるところ、「新生児がうつ伏せになり鼻や口が押し付けられた場合に自ら顔を動かして呼吸をすることは可能か」という問いに対して、本件に関与した医師達のうちG及び井出は可能と、鈴木及び黒田(鑑定書には明言し難いとしたが、証言では明確に不可能とした。)は不可能と、我妻は鑑定書では極めて困難と、証言では可能なこともあるとそれぞれ回答するなど顕著な見解の対立があるところである。しかしこのうち井出は、この問題に関する専門的知識を有していないことから、確信を持った答でないことを自認しており、G証言及び我妻証言(可能としたもの)は「あくまで呼吸が確立してからならば体を動かす力が強く、本能的に頭を動かすことは可能であろう。」とするものであるところ、前記のとおり本件嬰児は仮死状態で娩出され呼吸が確立されていなかった可能性が高いのであるから、この見解に立ったとしても本件嬰児が頭を動かすことはできなかったという結論が導かれると思われる。そして更に黒田及びGが鼻口部に当たったものが湿潤していた場合にはなおさら酸欠死しやすい旨証言していることと、前記のとおり本件嬰児がうつ伏せとなったベッドには排出液が貯留していたことを考え併せれば、本件嬰児の頭部自重のみによって鼻口部閉塞が惹起された可能性は、充分あると思われる。

5  更に弁護人は分娩中に下着あるいは被告人の大腿部で鼻口部を閉塞された可能性もある旨主張するところ、本件において被告人の下着は両膝付近に降ろされただけであったことや、その影響により大腿を充分開けなかった可能性が高いことは前記のとおりであり、このような場合に鼻口部閉塞の可能性があることは鈴木鑑定が明言しており、それに反する証拠がないことからすれば、この可能性もないとはいえないと思われる。

五  死因に関する結論

以上のとおり、本件嬰児の死体の解剖結果に基づく鑑定意見等いわゆる客観的証拠の検討によって確実に認定し得る本件嬰児の死因に関する結論は、同児が酸素の欠乏によって死亡(酸欠死)したということだけであり、右酸欠死の原因としては、(1)鼻口部閉塞の可能性が最も有力なものの一つとして考え得るが、(2)その余の可能性(①羊水吸引による内呼吸阻害、②異物吸引による気道不確保、③貯留排出液吸引による気道閉塞等)も否定されていない(もっとも、本件嬰児が仮死産児であった可能性が高いことからすると、③の可能性は、あまり高くないといえるであろう。)。そして、更に鼻口部閉塞の原因としては、公訴事実記載のような被告人の大腿部による押しつけ行為もその一つとして考え得るが、他の可能性(すなわち、④うつ伏せに産み落とされた嬰児の頭部自重による鼻口部の圧迫、⑤分娩途中における下着等による鼻口部の閉塞)も、十分考えられるところである。

このように、本件については、いわゆる客観的証拠のみによっては、同児の死因を確定することができず、公訴事実記載の「大腿部の押しつけによる窒息(酸欠)」は、想定し得る複数の死因の中の一つの可能性にすぎないといわなければならない。

第五  殺害行為及び殺意の存否

公訴事実に記載されているように、被告人が、殺意をもって、本件嬰児の頭部、顔面に右大腿部を乗せて押しつけ、同児を殺害したと認め得るか否かについても、その任意性・信用性が激しく争われている被告人の自白調書をひとまず除外し、前記第三、第四におけると同様、まず、その余の客観的証拠により、右公訴事実記載の事実をどの程度推認し得るかについて検討することとする。

一  殺害行為について

本件嬰児の解剖所見その他の客観的証拠によっては、被告人が、公訴事実記載の方法で同児を死に至らせたことを積極的に窺わせる事実は、これを認めるに足りず、もとよりこれと矛盾・抵触する事実関係も見当たらないけれども、他方、同児の死の原因となる事象としては、公訴事実記載のもののほかにも複数想定し得ることは、すでに第四において詳細に検討・指摘したとおりである。

二  殺意について

1  情況証拠の存在

関係証拠によると、本件については、次のような、一見被告人の殺意の存在を相当程度推認させると思われる事実関係が認められる。

(1) 被告人の家庭内における立場

被告人は、Aとの婚姻外の性交渉により妊娠した長女B(当時四歳)を連れて実家へ戻り、肩身の狭い思いをしていたものであり、このような状況のもとで、再び婚姻外の性交渉により妊娠した子供を出産すれば、厳格な両親から厳しく叱責されることが目に見えており、現に、被告人も、性交渉の相手であるCに対し、病院へ行って堕す旨約束していた。

(2) 妊娠に気付いたのちの被告人の行動

被告人は、今回の妊娠に気付いたのちも、出産を迎える準備(母子手帳の受交付、検診の受診、新生児の下着の準備等)を一切していないばかりか、家族や同僚にも妊娠をひた隠しにし、更には、覚せい剤を使用するなど、不規則・不摂生な生活を送っており、その生活態度は、出産を待ち望む女性のそれとは、かなりかけ離れたもののように考えられる。

(3) 本件の被告人の行動

被告人は、本件当日、医務室へ赴いた午後零時頃には、出勤途上に始まった腹痛が単なる腹痛でなくもしかしたら陣痛ではないかと考え始めていたが、医務室の受付ではそのことに一切触れず、生理痛である旨告げて室内に入っており、その後も痛みを必死にこらえ、誰にも助けを求めないまま、医務室内のベッド上で密かに本件嬰児を出産した。のみならず、被告人は、同児を出産したのちも、ただベッド上に横臥するだけで、同室内に居る看護婦に事態を知らせて応急の措置を求めることもせず、あまつさえ、右出産の前後に、心配して様子を見に来たDやFに対しても、「大丈夫、腰が痛いだけ。」とか、「救急車を呼ばないで。」などと、出産の事実の発覚を免れようとする言動に出ており、もとより、嬰児の安否をたずねるなどはしていない。

そして、検察官は、おおむね右と同旨の事実関係を指摘した上、被告人には嬰児殺害の動機ないし殺意があった旨主張している。

2  状況証拠の検討

右1(1)ないし(3)の各事実は、一般的にいえば、被告人の嬰児殺害の動機ないし殺意の存在を相当程度推認させるものであるといわなければならないであろう。特に、右(3)に指摘した被告人の当日の行動は、一見、被告人が殺意を有して行動していたと考えるのでなければ、これを合理的に説明することが困難であるようにも考えられないでもない。

しかし、関係証拠を更に仔細に検討すると、右(1)ないし(3)の各事実は、殺意等の認定上、必ずしも被告人に決定的に不利益に働くものではないことが明らかである。すなわち、

(1)について

被告人が第二の婚姻外の子供を出産することにより、両親から叱責されたり、家庭内で更に立場が悪くなることは事実であろう。しかし、被告人は、かねて、両親の夫婦仲が良くないことなどもあって、自らの結婚とそれによる新たな家庭生活の開始に強いあこがれを抱いていたところ、今回の妊娠を知ったのちは、子供を産めばCと結婚することができるだろうと考え、子供を産むつもりになっていた旨供述している(第一二回四七四丁、第一六回七七一丁ないし七七四丁)。そして、被告人が、早く結婚して家を出たいと考えることは、間もなく二六歳に達しようとするその年齢や婚外の一子を有する境遇、両親の夫婦仲が悪く暖かみに欠ける家庭内の雰囲気(H証言)、更には、弟の結婚が近付いていたこと(被告人供述第一六回公判七七一丁)などに照らし、きわめて自然な感情であると認められ、当面、結婚の相手としてC以外には考えられなかった被告人としては、同人の中絶の指示に反してでも、密かに出産してその上で同人に結婚を迫ろうと考えることは、(子供を結婚の道具として利用しようとすることは道義上の問題があることは別として、)かかる立場に置かれた適齢期の女性の心理として十分あり得るところと考えられる。もっとも、検察官は、出産が結婚を迫る道具とならないことは、長女Bの時の経験で、被告人も十分知っていた筈であると主張する。確かに、被告人が、Aとの性交渉の結果妊娠したBを出産したにもかかわらず、Aが結婚に同意せず、養育費すらろくに送ってこなかったことは事実であり、また、Cが本児の出産を望んでいたわけでないことを、被告人自身も知っていたと認められる。しかし、前記のように、被告人が同人との結婚を強く希望したとすれば、CはAと違って独身者であったことに加え、当初から被告人の境遇(婚外子を産んで実家に戻ったこと)を知りつつ付き合いを続け、Bも連れてドライブに行ってくれたなどの事情もあったのであるから、「確証はない」が「何とかなるという気持ち」(第八回公判三〇六丁)から、同人に隠れて密かに子供を産んでしまおうという気になったという被告人の供述は、必ずしも不自然・不合理なものとは認められない(なお、Cの供述調書中には、「私は彼女には子供が一人いることだし付き合っていても結婚するつもりはなく、彼女もその事はよく判って付き合っていたものと考えていました。」とする部分があるが、Cと被告人との前記のような交際状況に照らすと、被告人の結婚への期待についてCが全く気付いていなかったとは到底考え難く、むしろCは、被告人のそのような期待を利用して自己に好都合な被告人との関係を継続してきたとみる余地があり、Cの右供述部分をそのまま措信することはできない。)。

(2)について

前記(2)指摘の事実のうち、被告人が出産を迎える準備をしていなかった点について、被告人は、「出産予定日には、まだ一月あるものと思っていた。長女の時も、予定日の一週間前位に病院へ行って検診を受けたりして間に合ったので、今回も、七月のバーゲンが終わってから勤めを辞めて十分間に合うと思っていた。」旨供述している(第一六回公判)。そして、被告人が、出産予定日を八月中旬と予想していたことは、弁護人の主張するとおり、被告人のFとの出産直後の会話の内容や、「被告人が予定日を八月一四日と述べたので、それをカルテに記載した。」旨のG証言(第五回公判)によって客観的に裏付けられているのであって、被告人が、その供述するとおり、長女の出産の際に、予定日の一週間前に検診を受けただけで、無事出産できたという経験を有していたとすれば、今回の出産についても同様の対処で間に合うと考えて行動したということは、必ずしもこれを不自然であるということはできない。次に、被告人が、家族らに対し妊娠をひた隠しにしていた点については、被告人が家族にこれを打ち明ければ直ちに中絶するように求められることが当然予想された以上、当初妊娠を隠していたことは、むしろ、被告人が出産を決意していたからであるとの反論も可能である上、中絶が不可能な状態になったのちのことを考えても、被告人の内向的な性格や前記のような暖かみに欠ける家庭の雰囲気、更には周囲の人間との疎遠な関係などに照らすと、被告人が、妊娠の事実を家族らに告げなかったことが、出産を決意していたことと矛盾する行動であるとは考えられない。また、被告人が、妊娠中覚せい剤を使用したことについても、被告人は、「Cと別れるのが怖かったので、最終的にはこれを拒めなかった」と供述しており(第八回公判三〇一丁)、被告人が、Cとの結婚を一途に思いつめる余り、覚せい剤の胎児に及ぼす悪影響などについてはほとんど思いをめぐらす余地もないままに(被告人供述第一六回公判七七六丁。なお、被告人が、保健衛生に関する十分な知識を有していなかったことは、出産予定日の計算方法について重大な誤りを犯していることからも推測される。)、Cの言いなりになって覚せい剤の使用に応ずるということは、十分考えられるところである。このようにみてくると、前記(2)指摘の諸点は、必ずしも、被告人が妊娠中の子供の生命を抹殺したいと考えていたとか、その出産を望んでいなかったなどの事実を推認させるものであるとはいえないというべきである。

(3)について

(3)に指摘した当日の被告人の行動が、出産して子供を育てようと決意している女性のそれとしては、いささか異常であって、これらの点が一見被告人の嬰児に対する殺意を強く推認させるように思われないでもないことは、すでに一言したとおりである。

しかし、これらの点と被告人の殺意との関連を考えるにあたっては、次のような事情をも併せ検討する必要があると思われる。すなわち、それは、①本件当日の出産が、被告人において事前に全く予期しないものであり、しかも、前回の長女の出産の場合と著しく様相を異にし、規則的な陣痛を伴わずに急激に進展し短時間内に娩出に至ったため、被告人が心理的に著しく狼狽したと考えられること、②出産の場所が、被告人において、妊娠・出産を知られることの一番困る勤務先の医務室であったため、無意識のうちに、出産を隠しておきたいという心理が働いたと考えられること、③被告人が、生来、常識では理解し難いほど、我慢強い性格であること、④出産の直前・直後の女性は、肉体的・精神的に一種異常な状態にあり、その行動を、正常な状態におけるそれと単純に比較するのは相当でないことなどの点である。

若干の説明を加えると、まず、①②の点について、被告人が、どの時点で腹痛を陣痛であると感じたかが問題になるが、被告人が、出勤途上又は勤務先へ到着後間もない時点では、いまだこれを陣痛と考えていなかったことはほぼ明らかであると思われる。この点は、被告人がすでに出産の経験を有する女性であることからすると、いささか奇異にも感ぜられるが、今回の陣痛が、前回のそれと異なり規則的な痛みを伴うものでなかったこと、被告人が、出産予定日を約一月先と信じていたこと、出勤途上の段階で出産と気付けば、他にとるべき方法がいくらもあったと思われるのに(産むつもりであれば病院へ、密かに処分するつもりであれば、トイレ等へかけ込むのが最も手取り早い方法であることは、何人にも容易に理解されよう。)、出産を最も秘匿しておきたいと考えていた筈の勤務先の医務室へ赴いていることなどからみても、少なくとも職場へ到着後しばらくは陣痛とは全く考えていなかった旨の被告人の供述は、これを措信せざるを得ない。もっとも、被告人が現に医務室へ赴いた段階では、被告人も、「もしかしたら」という程度の危ぐは抱いていたというのであり(第九回公判三二三丁)、そうであるとすると、その段階で受付のDに生理痛である旨告げただけであった点が問題となり得るが、被告人が出産を確実に予想したのではない以上、自分の恥となる妊娠・出産の事実を職場の同性に秘匿したいと考えることは、不自然なことではないといわなければならない。それでは、被告人が、陣痛を陣痛であると確実に認識した時点はいつと認めるべきであろうか。この点に関する被告人の公判供述は「(産まれる際にも、)痛みが激しくなって、もう産まれちゃって、はっきり確信したんじゃなくて、あれ、もしかしたらという感じのままだった。」というもので(第九回公判三二五丁)、これによれば、被告人はついに出産を確信しないまま出産に至ったことになる。かかる供述は、後述の産婦の異常な心理状態を考慮に容れても、常識上にわかに首肯し難いというべきであろうが、今回の陣痛が前回と様相を異にする、いわゆる過強陣痛であった疑いが強いことを考えると、被告人が、出産の直前まで、出産を確実には予想できなかったということも考えられないことではないといわなければならない。そして、もしそうであるとすると、被告人が自己の出産を確実に予想した時点では、職場の医務室での出産という全く予期しない事態にすでに狼狽しており、また、急激に強まる陣痛に耐えることのみに心を奪われ、第三者に救助を求めることに思い至らなかったということもあり得ないことではないように思われてこよう。

また、被告人が、ついに誰に知られることなく出産を完了してしまった点も、前記②③の点を考慮すると、これに殺意の認定と結びつくような特別の意味を見出すことが困難となる。前掲鈴木・我妻両証言によれは、出産時には取り乱して半狂乱になる女性が多く、急にお産しそうになった場合には大きな声を出す人が多いが、全然わめかない人も中には居るとの由であり、平素から格別に辛抱強い性格の被告人であればこそ、出産を秘匿したい一心から、必死に痛みをこらえることも可能であったと考えられる(もっとも、いかに辛抱強い被告人であるとはいえ、出産の最中、うめき声一つ洩らさず耐えたとは常識上考え難いのであって、このうめき声をEに聞かれた可能性の存することは、前述したとおりである。)。

更に、前記④の点は、被告人が出産の直前・直後誰にも救助を求めなかった点と関連する最も重要な点であるので、やや詳しく説明する。前掲鈴木鑑定人は、出産の直前・直後には、産婦がかなり異常な心理状態に陥り、特に予想外の場所(職場)で急に出産という事態に遭遇すれば、「精神的に動揺し、対応の仕方を迷うと思う。」(第二四回公判一〇三六丁)、「祝福されてない子を出産した場合は、精神的重圧で、複雑な心境になり易く、ゆとりがなくなる。」(同一〇三七丁)などと証言し(もっとも、同証人は、出産直後に産婦が人を呼んだりすることが全く不可能であるとまではしていない。第二五回公判一一〇五丁)、また、我妻証人は、出産が始まって以降の女性の精神状態は「かなり異常」になり、誰かに助けてもらおうと動かなかった人は少ないと思うが、「無我夢中になると、全く判断が働かなくなる方が、かなりあっていいと」思う(一一五六丁)。「出産直後は、ポーッとしてしまう人が多い。」(一一六三丁)、その時間は五分とか一〇分とかより「もっと長い時間が多い」と思う(一一六四丁)などと証言している。これらの供述によると、出産の直前直後の女性は心理的に一種異常な心理状態にあるのが通常であると認められるのであって、そのような状態にある女性が、健常な心身の状態であれば当然取るであろうと思われる行動に出ていないからといって、この点を殺意の認定上重視するのは相当でないというべきである。なお、出産後間もなくと思われる時点で被告人を目撃した救急隊員の山崎安則は、被告人は、顔面そう白、意識もうろうの状態であったと供述するのに対し、D、F両証人は、被告人は、問いかけには答え得た、意識はしっかりしていたとしている。しかし、D・F両証人が被告人と交わしたという会話は、いずれにしても断片的なごく短いものであり、右両証言により窺われる被告人の心身の状況が、前掲鈴木・我妻両名が供述する、出産直後の女性の異常な状態とかけ離れたものであるとみることはできない。

そうすると、前記(3)に指摘した諸点も、結局、被告人の殺意の認定上格段に重要な間接事実であるとはいえないと考えられる。

3  状況証拠による殺意の推認の可否

従って、本件については、被告人の捜査段階の供述を除くその余の証拠のみによっては、被告人の殺意を推認するには至らないというべきである。

第六  自白の任意性について

一  緒説

以上のとおり、被告人の自白調書を除くその余の証拠のみによっては、本件嬰児が生産児であったことを、若干の疑問を留めつつ、ほぼ肯認し得たに止まり、その余の争点(すなわち、死因、殺害行為、殺意等)についてはいずれとも決し難く、結局、本件公訴事実につき被告人を有罪と認め得るか否かは、ひとえに被告人の自白調書の任意性、信用性に対する判断の如何に係ることになる。

ところで、本件自白調書のうち員面(四通)及び検面(三通)並びに司法警察員作成の検証調書(被告人による犯行の再現状況を撮影した写真を中心とするもの)については、弁護人が当初からその任意性に疑いがあるとして取調べに異議を述べていたが、更新前の裁判所は、検察官によりその任意性の立証がなされたものと認めて、第一七回公判期日にその取調べを了していたものであって、第二七回公判期日における当裁判所の公判手続の更新の際、弁護人から証拠として取り調べるべきでない旨の意見が述べられたけれども、当裁判所は、審理がすでに最終段階にあったこと等を考慮し、任意性に関する更に慎重な証拠調べと終局裁判における再度の判断の機会を留保した上で、ひとまずこれを証拠として取り調べた。その後、当裁判所は、被告人の取調べ時の健康状態及び取調べ状況等に関し、証人I、同Gの各尋問及び被告人質問を行ったほか、証人我妻堯の尋問の際にも、事実上出産直後の女性の健康状態に関する一般的知識を補充する供述を求めたが、被告人に対する取調べ時間を明らかにするため取り調べようとした被告人の動静等を記載した簿冊書面については、留置人名簿、同接見簿、同金品出納簿(以上各謄本)及び同動静簿(抄本)の各提出を求め得たに止まり、肝心の留置人出入れ簿は、保存期間の満了のためすでに廃棄ずみとの理由で、その提出を受けることができなかった。なお、当裁判所は、第二九回公判期日において、検察官から申請された被告人の弁解録取書二通及び被告人作成の昭和六〇年七月二四日付け上申書(いずれも、概括的にではあるが、犯行を認める内容のもの)を取り調べているが、その作成時期からみて、これらの書面の証拠能力も、更新前に取り調べられた自白調書と運命を共にすべきものであると解される(公判調書によると、弁護人は、右各書面の証拠申請に対し、当初不同意の意見を述べ、その後刑訴法三二二条所定の書面としての証拠申請に対しては、「異議がない。」旨の意見を述べたことが明らかであるが、右弁護人の意見は、当裁判所が、公判手続の更新の際約束したように、その証拠能力につき最終段階で再度検討することを前提として、ひとまずこの段階で取り調べることについて「異議がない。」という趣旨に理解すべきである。)。従って、以下においては、更新後に取り調べた書証三通を含め、自白調書の証拠能力及び信用性を一括して検討することとする。

二  弁護人の主張の概要

本件自白調書の証拠能力を否定すべきであるとする弁護人の主張の論拠は、(1)各自白調書は、被告人に対する違法な身柄拘束を利用して作成され、また、(2)産褥早期で健康状態の悪い被告人に対し、過酷にして違法な取調べを行った結果得られたものであるという二点に大別される。なお、弁護人は、自白の任意性に疑いがある理由としては、右(2)の点のみを主張し、(1)の点は、違法収集証拠排除の理論に基づく証拠排除の理由としてこれを主張するもののようであるが、捜査手続ことに身柄拘束手続に著しい違法があれば、そのこと自体が自白の任意性を疑わせる一事由になると解されるから、右(1)(2)を截然と区別して論ずることは、それほど意味のあることとは思われない。そして、証拠を検討すると、本件においては、右(1)の点についても問題となる点がないわけではないが、問題の中心は(2)の点にあると認められるので、以下においては、(2)の点を中心としてことを論じ、(1)の点については、特に重要で結論に影響を与える可能性のある点のみに限って論及するに止めることとする。

三  取調べの経過の概要

まず、関係証拠を総合すると、被告人が嬰児を分娩後浦和署へ逮捕・勾留されて取調べを受けるに至るまでの経過及びその間に作成された供述調書等の概略は、次のとおりであったと認められる。すなわち、

1  被告人は、本件当日、救急車で前記G病院へ搬送されたあと、引続き同病院へ入院することとなったが、他方、所轄の浦和署においては、右嬰児死亡事件の発生を知るや、直ちに捜査を開始し、同日以降一八日にかけて、医務室に居合せ又は来合せた事件関係者(D、F、E、山崎正則ら)から事情を聴取して供述調書を作成する傍ら、入院先の病院の医師Gからも事情を聴取し、更に、同月一六日付で、防衛医科大学法医学教室教授井出一三に対し、本件嬰児の死体解剖と死因等の鑑定を嘱託した。

2  被告人の産後の経過は、比較的順調であったため、G医師は、入院から四日後(入院当日を含まない。以下、同じ。)の同月二〇日朝、縫合部の抜糸直後に、被告人を退院させることとしたが、かねて浦和署から、退院の時点で警察へ連絡するよう求められていたため、予め同署へ電話連絡をしておいたところ、同日午前一〇時ないし一一時ころ、同署の警察官三名(I巡査部長、K警部補、L巡査部長)が退院の準備をしていた被告人の病室を訪れ、被告人に対し同署への出頭を求めた上、警察車両により被告人を同署へ連行した。

3  同署のI警察官(以下「I」という。)は、同署へ到着後直ちに被告人に対し、本件に関する取調べを開始し、被告人が昼食は摂りたくない旨の意向を表明したため、昼食を摂らさないまま、午後も取調べを再開し、予め発付されていた逮捕状の執行手続をはさんで、同日夕刻まで、弁解録取ないし取調べを行った。

4  浦和署から身柄の送致を受けた浦和地方検察庁のJ検事は、同月二二日被告人から弁解を録取して調書を作成したのち、浦和地方裁判所に対し勾留を請求し、同地方裁判所裁判官による勾留状の発付を得た。

5  その後、右勾留状の勾留期間は、一〇日間延長され、被告人は、延長された勾留期間の満了日の前日である同年八月九日、前記殺人の公訴事実により公訴を提起された。

6  なお、右逮捕・勾留期間中に、被告人の供述を録取した書面(供述調書及び弁解録取書、勾留質問調書)、これに準ずる書面(被告人による犯行再現状況を写真に撮影した検証調書)、又は被告人自身の作成名義の上申書などが作成されており、右各書面の作成日付(ただし、検証調書については、検証が実施されたとされている日。以下、同じ。)とその内容の概略は、次のとおりである。

日付

書面の表示

内容 (枚数)

(1)

7.20

員・弁録

逮捕状記載のとおり、生んだ子供を死なせてしまったことは間違いない。(一枚)

(2)

7.20

員面

身上、Cとの関係、出産の経過のほか、「出産後、ウギャウギャと子供が二回泣いたあと、女の人が通りかかり、隠していたが、子供のオギャという声がしたので、頭の上にある足を判らないようにしようとふくらはぎを倒したら、静かになってしまった。子供を死なせてしまいすまないと思っている。」(一二枚)

(3)

7.22

検・弁録

事実を読んでもらったが、赤ん坊を一人で産み落したことは間違いない。赤ん坊は、生まれて、おぎゃーおぎゃーと二回位泣いていた。その体の上に自分の右足を乗せて殺してしまった。(一枚)

(4)

7.22

勾留質問調書

殺す意思はなく、わざわざうつぶせにもしておらず、膝で圧迫もしておらず、産んでそのままにしていたら死んでしまった。(一枚)

(5)

7.23

員面

被告人の男性遍歴(A、Cとの関係)に続け、「生まれた場合は(私の心の奥に)なんとかして措置すればよいという悪い悪魔が少しでも宿ったのは確かです。」「前回お話した通り、この子さえいなくなってしまえばよいと思い足で子供の泣き声をしないようにおさえつけて死なさせてしまいました。当然子供をおさえつけてしまえば死んでしまうということは判っていました。」(一四枚)

(6)

7.24

検証調査

被告人の動作による犯行再現状況

(7)

員面

身上・経歴(八枚)

(8)

犯行状況の詳細な自白、付図面(八枚)

(9)

上申書

結婚できるわけもない相手の子だったし、産んでも仕方のない子だと思っていたので、産まれた時には、このまま死んでしまえばいいと思い、このようなことをしてしまった。深く反省している。

(10)

7.26

員面

当日着用していた下着等の説明(九枚)

(11)

7.30

検面

A、Cとの関係、妊娠の経過、「医務室で赤ん坊が生れてしまったが、誰にも知られたくなく隠していたかったので、赤ん坊が泣き声を出したので、足をその体に乗せて死なせてしまった。」(一二枚)

(12)

8.8

出産当日の状況の詳細、自白(一七枚)

(13)

8.9

右同(八枚)

四  供述調書の日付の改ざんの主張について

ところで、弁護人は、右各書面のうち、(2)、(5)、(7)、(9)、(10)は、現実には、当該書面の作成日付の日と異なる日に作成されたもので(すなわち、(2)は七月二三日に、(5)は七月二九日に、(7)は七月二四日以降の別の日に、(9)は、七月二五日、六日頃に、(10)は、七月二四日の検証前に、それぞれ作成されたという。)、Iは、書面の作成日を勝手に操作し、真相の発見を困難にさせる違法な捜査を行っている旨主張しており、被告人も右主張に副う供述をしている。

確かに、Iの責任において作成された他の捜査書類の中には、現実の作成日と異なる作成日付が記載されていたり、当該作成日付の時点では、いまだ記載することが不可能であった筈の事項が記載されているものが存在し(前者の例として、被告人の作成名義の七月一六日付還付請書が、また、後者の例として、G医師作成名義の同日付死亡診断書がある。前者については、I自身も、同日被告人から右書面を徴した事実がないことを公判廷で認めているし、後者の「解剖の主要所見」欄の記載は、いまだ嬰児の解剖が行われていない七月一六日の段階では、何人も記載することの不可能な事項であり、七月一六日以降の時点で作成されたと認めるほかはないが、G医師が右書面の作成日付を勝手に遡らせる必要があったとは考えられないから、右作成日付の操作は、いずれにしても、本件捜査を担当したIの意思に基づくものと認めるほかはない。)、これらの点からすると、捜査書類の作成上、Iがかなり杜撰な処理をしていたことを窺うことができる。そして、右の点に加え、被告人の取調べ方法に関するI証言が、第一三、一四回公判と第二八回公判とで、大きくくいちがっていること、日付が操作されたと主張されている供述調書の中には、I自身が証言する取調べ事項と異なる事項の記載されているもの(例えば、前記(5)員面。I証言第一三回五六二丁参照)も存在することなどを併せ考えると、この点に関する弁護人の主張には、一概に排斥し難いものがあるようにも思われる。しかし、他方、捜査官による被告人の供述調書の日付の操作ということになれば、前掲還付請書の日付に関する杜撰な処理などとは質を異にする重大な違法行為であることは、Iにとっても容易に理解し得た筈であるところ、同人が、そのような重大な違法を犯してまでも、供述調書の日付を操作しなければならない必要性があったとは、にわかに考え難い。また、例えば、前記(2)員面について考えると、右は、Iが事件を検察官へ送致する以前に作成したとされる唯一の被疑者調書であるが、もしこれが同日に作成されたものではないとすれば、Iは、被疑者調書を全く作成することなく事件を検察官に送致するという、通常想定し難い処理をしたことになって不自然であるばかりでなく、右(2)員面記載の供述は、前記のとおり、殺意を完全には認めない趣旨のものであって、I証言に現われた当日の被告人の供述内容とほぼ符合し、これが七月二〇日に作成されたことは、ほぼ疑いないと考えられること、被告人は、当時、精神的・肉体的に著しく不安定な産褥初期の身であって、取調べの内容について、逐一正確に記憶することは、困難であると思われること、更には、Iが当初取調べ状況について証言した第一三回公判の段階でも、事件からすでに一〇か月を経過しており、同人に対し、各取調べの行われた日の取調べ内容につき正確な答弁を求めることは、いささか酷であるとも考えられることなどの諸点を総合勘案すると、被告人の供述調書の日付の操作に関する弁護人の主張に、直ちに賛同するにはなお躊躇させるものがあるのであるから、以下においては、各供述調書の日付の日に当該供述調書が作成されたものとして、その任意性を検討していくこととする。

五  取調べの経緯及び取調べ時間

前記のとおり、被告人に関する留置人出入れ簿が廃棄処分ずみであるため、取調べ時間等を正確に知ることはできないが、関係証拠を総合すると、被告人に対する七月二〇日以降の取調べの経緯、取調べ時間及び取調べ官は、概ね次のとおりであったと認められる。

七月二〇日  午前一〇時三〇分ないし一一時頃から午後五時三〇分ころまで取調べ(I)

二一日  取調べなし

二二日  午前九時頃浦和地検へ押送、午後一時一五分頃から五ないし一〇分間、弁解録取(J)、その後、浦和地裁で勾留質問、午後五時頃帰署

二三日  午前一〇時頃から午後五時頃まで取調べ(I)

二四日  午前九時二〇分から同一〇時三〇分まで、××浦和店医務室における検証立会い(犯行状況再現)。帰署したのち、午後五時頃まで取調べ(I)

二五日  午後約二時間取調べ(I)

二六日  午前九時三〇分頃から午後一、二時頃まで取調べ(I)

二七日  取調べなし

二八日  右同

二九日  取調べ(I)

三〇日  午前九時三〇分頃浦和地検へ押送、午後から五時頃まで取調べ(J)

以上のとおりであって、本件において捜査官が行った被告人に対する取調べは、それ自体決して短時間であるとはいえないにしても、夜間にまで及んだり、通常一般の事件におけるそれと比べ格段に長時間にわたったりしたものでなかったことが明らかである。

六  被告人の健康状態及び取調べの方法

しかしながら、本件被告人に対する捜査機関の取調べ方法には、それ自体の中に、又は特に被告人の健康状態との関係で、重大な問題があったといわなければならない。すなわち、

1  被告人の健康状態

まず、第一に、当時の被告人の健康状態が、捜査官による長時間の取調べに耐え得るようなものではなかったという点がある。Iを中心とする警察官の被告人に対する取調べが、通常一般の事件におけるそれと比べ格段に長時間に及んだとはいえないことは、すでに指摘したとおりであるが、それにしても、一日数時間又は丸一日引き続いての取調べが、健康な肉体を有する者にとっても、かなりの苦痛であることは明らかである。まして、本件当時、被告人は、産褥早期の段階であって、肉体的にはもとより精神的にも著しく不安定な状態にあったと認められるのである。

出産の経験を有しない男性は、褥婦の健康状態について十分な知識を有しないのが一般であり、えてしてその苦痛を軽く見がちであるが、まず、産婦人科医として多年の経験を有する前掲鈴木、我妻の各供述及び医学書「産褥」を総合すれば、一般に、①妊娠、分娩によって生じた母体の生理的変化が非妊娠時の状態に回復するまでの期間(これを産褥という。)は通常分娩後六ないし八週間であること、②産褥早期は十分な休養を必要とし、正常に経過する場合でも病院からの退院は出産後の一週間後になされること、③退院後も約二週間はなお心身が疲労しやすい状態であり、医者も布団を敷いて寝たり起きたりの生活をするよう指導していること、④精神的にも不安定になり少しのことで泣き出すような褥婦が多いことなどが明らかである。(これらの点に関しG医師は「出産後五日目だと日常生活はやろうと思えばできる。」などと証言し、この証言は前記の見解とはややニュアンスを異にするものであるが、G医師はその日常生活の内容につき「火事があったらすぐ飛び出せる。」などの例を挙げ、また「退院後無理をしないよう指導している。」とも供述しているので、同医師の証言全体の趣旨は、前記の見解と大きく食い違うものではないと思われる。)

そして、右のような褥婦の健康状態一般に関する知識からも、産褥早期の者に対する長時間の取調べが褥婦に与える苦痛は、ある程度推察可能であるが、更に、鈴木鑑定人は、その場合の褥婦の苦痛に関し、「子宮が収縮しておらず骨盤の中がうっ血した状態だから、普通の人より体、特に腰や足にむくみやだるさを感じやすい。同じ姿勢を長々ととれない。」(第二四回公判一〇四一丁)と具体的に説明し、また、我妻証人は、「授乳で二、三〇分座って飲ませてもかなり疲労が強い」から、ある程度の時間椅子に腰掛けていることは「かなり苦痛」だと思う(一一六四丁)旨述べた上、「仮に産後四日目位の産婦を留置の上取り調べたいが耐えられるかという問い合わせが警察から来たらどう回答するか。」との質問に対し、「断わりますね。」「少なくとも医学的常識からは許し難い。」(一一六八丁)とまで言い切っている。もっとも、検察官は、本件において、被告人を直接診療したG医師が、取調べ可能であると判断して警察へ連絡した点を重視し、被告人は十分取調べに耐え得る状態であった旨主張しているが、G医師が想定してこれに耐え得ると判断した取調べは、「一時間位」で「取調べといっても話合いみたいなもの」という比較的ゆるやかなもの(第二八回公判一一七五丁ないし一一七六丁)であったことが明らかであり、現に行われた取調べが、そのような生易しいものではなかったことからすると、G医師は、取調べの実態に対する認識の不足からその判断を誤ったものと考えざるを得ず、同人が、直接被告人を診療している者であること、及び、本件の出産自体は比較的軽い部類に属すると認められることを考慮しても、右は被告人が取調べを受けた当時の健康状態に関する前記認定を左右するものではないといわなければならない。

2  健康状態に対する配慮の不足

第二に、本件被告人に対する取調べにおいては、右のような被告人の健康状態に対する配慮が、ほとんど全くなされていなかったことが挙げられる。例えば、取調べの初日である七月二〇日についてみてみると、当日は、出産後いまだ四日目、しかも被告人が縫合部の抜糸をして退院した初日であって、体調もきわめて悪かったことが優に推察され、現に被告人は昼食を辞退する状態であったのに、Iらは、遅くも午前一一時頃から夕刻五時半頃まで、取調べ官が昼食を摂る時間を除き、休憩もなしに、引き続き取調べを行ったものである。仮りに、取調べが真に必要やむを得ない場合であったとしても、前記のような被告人の健康状態を考えれば、取調べの時間を短縮し、休憩を多く入れるとか、あるいは、横臥したままで取調べを受けるのを認めるなど、何らかの措置の講ぜられるのが当然であったと思われるのに、本件においては、右のような措置は、全く採られておらず、被告人は、終始堅い椅子に座らされたままであったし、取調べ官の昼食中ですら、横臥は認められなかった。もっとも検察官は、捜査官側が、取調べ終了後居房に布団や毛布を差し入れたことを指摘し、捜査官側は被告人の健康状態に対し配慮していたと主張するが、敷布団が差し入れられたのは逮捕当日だけのことであったと認められ、居房における配慮自体決して十分なものとはいえないばかりか、取調べ自体ではなくその他の面に関する右の程度の特別な取扱いだけでは、産褥早期の被告人に対し長時間の取調べをする場合の配慮として明らかに不十分であったといわざるを得ない。ちなみに、取調べ官であるIにおいては、出産五日目位の女性の健康状態につき、「一般的に、女房なんか見てまして、子供がいますんで、まあ、家事くらいはやってましたんで、大丈夫だろうという感じの知識」を有していた旨証言しているが(第二八回公判一一九七丁)、これなどは、褥婦の健康状態及び取調べを受ける者の精神的・肉体的苦痛に関する同人の認識の低さを示すものとして注目されなければならない。前記のとおり、同人は、昼食を辞退した被告人を長時間堅い椅子に座らせて引き続き取り調べており、また、椅子に掛けさせたまま雑談することにより、被告人に休憩を与えたと考えていることが明らかであるが、右一連の事実は、前記証言から推測されるIの褥婦の健康状態に関する認識の低さを裏書きするものといえよう。また、例えば、七月二二日、被告人は、前記のとおり、午後一時すぎから検察官による弁解録取及び裁判官による勾留質問を受けただけであるが、午前九時頃浦和地検へ押送された被告人は、弁解録取等の手続のために現に必要とされた時間以外の時間も、横臥することは許されず、夕刻五時頃居房へ帰るまでの間、体を休めることができなかったのであって、同日の弁解録取等の手続が比較的簡単に終っているからといって、当日被告人が十分の休養を与えられたということにはならない(J検事も、当時被告人が産褥早期の身であることを取調べにあたり、特に意識していなかった旨供述している。第一五回公判七〇〇丁)。七月二三日は、被告人が、犯意を否認する従前の供述から自白に転じた日と考えられるが、当日は、午前一〇時から午後五時頃まで、二〇日とほぼ同様の方法で取調べが行われている。更に、二四日は、午前中に被告人立会いによる犯行再現状況に関する検証を行ったあと、更に夕刻五時頃まで引き続く取調べにより、八枚綴りの供述調書二通と被告人自筆の上申書が作成されたとされているのであって、その日程は、産褥早期の女性のそれとしては、著しく過酷であったというべきである。以上の諸点のほか、捜査官側の被告人の健康状態に関する配慮の不足を示すものとしては、産褥期にある女性が、産褥からの回復のため着用が必要であるとされている腹帯の着用を許されなかったこと、入浴時に、局部の衛生保持上必要と考えられるシャワーの使用を認められなかったことなど、種々のものがあることは、概ね弁護人の主張するとおりであると認められる。

3  取調べ方法の問題点

第三に、Iらの取調べの方法には、被告人の健康状態を度外視して考えてみても、少なくとも著しく妥当を欠くものが相当数含まれていたことが挙げられる。

例えば、証拠によると、(1)Iは、被告人を取り調べるにあたり、当初、黙秘権の告知をしておらず、その後現実に行われた黙秘権や弁護人選任権告知の方法は少なくとも著しく不適切であったといわざるを得ないし、(2)取り調べにあたっては、怒鳴りつけたり机をたたいたりして追及し、被告人の弁解を受けつけないような態度をとった疑いが強く、また、(3)被告人が自白したのちにおいては、コーヒーを飲ませて雑談した上、被告人に対し、再度の執行猶予が得られるような見通しを語ったりした事実が認められるのである。以下、若干の説明を加える。

(1) 黙秘権・弁護人選任権の告知方法

右の点につき、被告人は、当初より「七月二二日検察官の調べを受ける段階まで、黙秘権や弁護人選任権の告知を誰からも受けていなかった」旨供述しているのに対し(第一一回公判四四九丁)、Iの証言は一貫していない。すなわち、Iは、当初第一三回公判において、「七月二〇日午前中は、調べ室に入ったあとも、事情聴取にすぎないので、黙秘権告知はしていない。」「黙秘権は、午後の本格的な調べに入る時に告げた。」と証言しながら(五三九丁〜五四〇丁)、その直後に、「午前中は供述拒否権があるんだとは、はっきりとは言ってない。ただ、真実は言ってもらわなくては困るんだと、言いたくないことは言わなくてもいいんだとは言ってある。」旨証言を微妙に修正し(五四一丁)、更に、「午後一時からの調べでは、一番最初に、『言いたくないことは言わなくていい、ただし真実を話してもらわなくちゃ困ると、そのことはわかりますか』ということで聞いている。」「二時すぎに被告人を逮捕した時には、逮捕状の事実を読み聞かせた上、『一応、弁護人をあなたの法律の立場として、わたしたちも一応法律は知っているけれども、当事者としてあなたを弁護するのは弁護士というのがいるんだけれども、その弁護士はどうするんだ。つけるのかつけないのか。』『弁護士さん、知っている人いますか。』と聞いている。」などと証言していた(五四五丁ないし五四八丁)。ところが、同人は、第二八回公判期日における当裁判所の尋問に対しては、「午前中の雑談の時は供述拒否権は告げていないが、事件のことについて聞いた以上は、告げている。前回午前中は告げてないように言ったのは、表現が悪かった。」(一二〇四丁ないし一二〇五丁)「弁護人選任権は、被告人を逮捕する時に、『あなたには当事者としてのあれがあるけれども、あなたの身を守るために、法律に詳しくないから、弁護士というのが法律に詳しい方がついてやってくれる権利があるけれども、どうしますか。』というように聞いている。」(一二〇六丁)旨証言するに至っている。しかし、右のうち、特に、弁護人選任権の告知の仕方について、説明をこのように大幅に変えた点について、同人が納得すべき理由を説明していないことからすると、右は、同人が、自己の保身を考えて、立場を正当化しようとしたものと考えざるを得ないが、同人の証言中には、他にも、逮捕状の記載と明らかに抵触したり、前後あい矛盾し、不合理な点があること(Iは、当初第一三回公判では、逮捕状を執行したのは自分である旨明言していたが〈六〇二丁〉、第二八回公判で、弁護人から、逮捕状には、執行者として、M巡査と記載されている旨指摘されると、「自分が、Mに下命して逮捕状記載の犯罪事実を告げさせた上、自分が弁護人選任権を告げた。」〈一二二八丁〉旨証言を変更した。しかし、第一三回公判の証言では、当日午後取調べ室に在室したとされる警察官の中に、M巡査の名は見当らないし、前記のような証言の変更自体、合理的なものとは認められない。)などの点からすると、第二八回公判におけるIの証言を全面的に措信することができないのは当然であるが、更に遡って、第一三回公判における証言自体も、果たしてどこまで正確なものであるか、疑問とならざるを得ない。また、黙秘権についても、Iが、当初午前中の取調べを事情聴取であると強弁して、黙秘権不告知を正当化しようとしたのち、その不当に気付いて軌道修正を図ろうとしたものとも推測されるのであって、少なくとも、午前中の取調べにおいても黙秘権を告知している旨のI証言は、にわかに措信し難い。そうすると、Iらは、被告人を本件につき取り調べるにあたり、当初黙秘権を告知しなかっただけでなく、その後逮捕状を執行する段階においても、被告人がその趣旨を十分理解し得るような形では、黙秘権や弁護人選任権を告知していなかった疑いがあるといわなければならない。

(2) 不当な取調べ方法について

次に(2)の点について、被告人は、獄中から出した弁護人に対する手紙(昭和六〇年一〇月一一日付消印)の中で、次のように訴えている。「(子供が)医務室で生まれ、救急車で病院に運ばれたが、子供は死んでいた旨話すと、『そういうことじゃないんだ。子供は産まれたときうぶ声をあげたんだろう。それが死んだんだよ。赤んぼうなんか、ほっておいても死なないんだよ。それが死んでいるんだよ。解剖したら羊水は飲んでいないんだ、窒息死なんだよ。』と言われた。『窒息死とは、どういう事か説明してやろうか。』一人の刑事さんが、自分の口と鼻の部分に手をあて、もう一方の手で頭のうしろをおさえて見せました。『こう(いう)状態なんだよ。頭のうしろをおさえられれば口と鼻がふさがれて、息ができないだろう。わかるか、手でおさえたのか。』と言われました。『私がやったというのですか。』と言うと、『そうだよ、あんたがやったんだよ。あんたしかいないんだよ。』と言われました。私が、ちがうと言うと、そんなわけはないだろうと言われました。私は、もう驚いてしまい、昼食もとる気がしなくなりそのまま調べは夕方まで続きました。何度私が殺したのではないと言っても聞いてもらえず、机をたたいたり大きな声を出したり、二、三人の刑事さんが出たり入ったりしていました。……午前一一時頃からずっとでしたし、産後だったので疲れてきてしまっていたし、何を言ってもしようがないという気持ちになり『もういいです。』と言うと……」そして、被告人は、その後公判廷においても、これと同旨の具体的事実を、生々しく供述し(第九回公判三四七丁ないし三五五丁)、二三日以降の取調べも同様であったとしている(特に、第一一回公判四五二丁ないし四五六丁)。被告人が右手紙等で訴える内容は、詳細、かつ、具体的であるだけでなく、検察官に窒息死の説明をされた状況などのように、極めて特異なものが含まれており、これまで、前記覚せい剤取締法違反事件による取調べの際以外に、警察との係わりを一切持たなかった、いわば擦れていない(しかも、手紙の内容等に照らし、その知能程度もそれほど高いとは思えない)被告人が、想像や誇張によって供述し得るものとは考え難い迫真力を有する上、右は、当時、被告人による嬰児の殺害を確信していたとみられる取調べ官が、当初容易に殺意を認めようとしない被告人の態度にいら立った状況を適切に表現したものとみることができる。この点につき、Iは、「取調べにあたって怒鳴ったり机をたたいたことはなく、自白を迫ったり供述を押しつけることはしていない。」旨証言するが(第一三回公判五五二丁、五五七丁)、他方、「ふつうよりちょっと大きい声」を出したことはある旨認め(五五二丁)、「その場に第三者もいなかっただろう。じゃあ誰が殺したんだろう、ほかに誰かおったのかというふうな聞き方はしている。」旨、被告人が手紙等で訴える前記追及のされ方より表現は柔らかいが、これと趣旨において一致するとみられる供述もしており(五六〇丁)、更に、被告人が、自白の大きな動機になったと供述する浦和駅近くの嬰児の遺棄事件に関する追及も、「詳しくではない」としながらも、これを行ったことを認めている(第一四回公判六三七丁ないし六三九丁)。これらの点に加え、I証言については、前記のとおり、他にも種々の矛盾・変転があって、これに全面的な信を措き難いことなどの点を併せ考えれば、右取調べ状況に関する前記被告人の供述は、これを虚構の弁解であるとして排斥し去るわけにはいかないというべきである。また、J検事が、弁解録取にあたり、黙秘権や弁護人選任権の告知をしなかったとは、にわかに考え難いが、しかし、被告人が、同検事の弁解録取の際事実を認める供述をしたとされているのに、その直後に行われた裁判官による勾留質問においては、前記のとおり全面否認に転じていることからみて、同検事の弁解録取が、少なくとも、裁判官の勾留質問と同様な意味において、真に被告人の弁解を聴取するための手続として履践されたものとは到底考え難い上、同検事において、被告人が勾留質問の際に否認したことを知ったのちも、本件を否認事件とは「全然扱っていなかった」旨証言していること(七二二丁)からみて、同検事が、その後の取調べにおいても、被告人に対し、警察における取調べとは無関係に純粋に白紙の立場で供述することができるような状況を作出したとは認められず、むしろ、警察官の取調べと同様、被告人の供述を頭から虚偽と決めてかかった上でその取調べにあたった疑いが強い。

(3) 捜査官の不当な言動について

最後に、前記(3)の点について述べると、被告人は、七月二四日の検証の日よりあとに、二、三回Iに呼ばれて雑談し、その隣に座ってコーヒーを飲みながら雑談したことがあり、その際、Iは、六法全書みたいなのを見て、多分執行猶予がつくよみたいなことを言った旨供述しているところ(第一二回公判四九九丁ないし五〇二丁、第一三回公判五一九丁ないし五二四丁)、Iも、被告人に対し、「ダブル執行猶予というのが頭にあったんで、ダブル執行猶予もあり得るんじゃないかというふうに言っちゃったと思う」旨供述している(第一三回五六九丁、五七一丁)。もっとも、Iは、右の話が出たのは、捜査中ではなく起訴後のことであると供述するが(五七一丁)、他方において、法律上再度の執行猶予になり得る筈のない殺人罪につきなぜそのような話をしたかを尋ねられた際には、「調べが終って、パッと言われたもんですから、何となく、……パッと言ったような気」がする旨、あたかも、右の話が出たのが、いまだ公訴提起前における取調べの際であったことを暗に認める趣旨にもとれる供述をしている(五七〇丁)。また、取調べずみの留置人名簿中八月三日の欄の記載によれば、被告人が八月三日にも「取調べ」という名目で出房したことが明らかであるのに、当日付の供述調書は存在せず、Iも同日の取調べの内容を明らかにすることができないのであって、右の点からすると、被告人が、本件公訴提起前に、「取調べ」という名目で出房しながら、本来の取調べを受けない日の存したことも容易に推認することができる。以上の諸点を総合すると、Iが被告人に対し、ダブル執行猶予になり得る旨話したのだが、I証言とは異なり、本件公訴提起前の取調べ継続中であった疑いは、これを否定することができないといわなければならず、右は、いずれにしても、いったん自白した被告人に対し、その自白を維持させる効果を有する不当な言動であったというべきである。

七  自白の任意性に関する結論

以上の検討の結果によると、本件における被告人の捜査官に対する供述調書及び上申書、弁解録取書、更には検証における指示説明は、被告人の当時の特殊な健康状態に対してほとんど何らの配慮をせず、黙秘権・弁護人選任権についても不十分な告知しかしないまま、追及的に、その弁解を全く聞き入れないような態度でかなりの長時間にわたり行われた取調べの結果得られたものであるばかりでなく、被告人が一旦自白したのちにおいては、警察官において、法律上不可能と考えられる再度の執行猶予の可能性を示唆するなど、右自白を維持させるのに効果のある不当な言動にも出ているので、全体として、その任意性に疑いがあり、これを採証の用に供し得ないものと考えるほかはない(なお、本件自白調書の任意性に疑いを抱かせる事由の多くは、警察官の言動に由来し、検察官が、取調べにおいて、警察官と同様な意味で不当な言動をしたとまでは認め難いが、他方、検察官自身も事案の経過に照らし当然必要とされる被告人の健康状態に対する配慮を全くしていない上、被告人の弁解を十分聴取しないまま、警察官と同様、弁解を頭から虚偽と決めつけて取り調べにあたった疑いが強く、検察官において被告人に対し、警察官に供述したところを離れ自由な立場で供述し得るような状況を作出するなど特段の措置を講じたとは認められないから、右自白調書中検察官作成にかかるものの証拠能力を、警察官作成にかかるものと区別することはできない。)。

第七  自白の信用性について

一  緒説

以上のとおり、被告人の自白に証拠能力がないと認められ、また、自白を除くその余の証拠のみによっては、被告人が、本件嬰児を殺害した事実を肯認するに足りないことは、すでに詳細に説示したとおりであるから、本来であれば、自白の信用性について検討するまでもなく、被告人に対し無罪の言渡しをすべきところであるが、当裁判所は、自白の任意性の検討の過程において、その信用性についても検討する機会があり、すでにその信用性には重大な疑問があるとの心証に達しているので、以下においては、念のため右の点についても、検討の結果を示しておくこととする。

二  被告人の供述の経過の概要

まず、前記第六、三、6に摘記した被告人の捜査官に対する供述調書等の内容に、前掲I証言及び被告人の供述を併せると、被告人の捜査段階における供述の経過は、次のように要約することができる。すなわち、被告人は、七月二〇日浦和署でIらの取調べを受けた際、当初は、自分は子供を殺していない旨強く犯行を否認し、同日午後逮捕状の執行を受けた際の弁解録取手続においては、単に「生んだ子供を死なせてしまったこと」のみを認めたが(これは、冒頭に、「逮捕状記載のとおり」という枕詞が付せられているにせよ、実質的には否認の供述と解するのが相当である。)、同日夕刻作成されたとされる員面では、子供の泣き声を二回聞いたこと、女の人が通りかかったこと及び判らないようにするためふくらはぎを倒したら静かになったことなどを認めるに至り(ただし、この段階でも、殺意はこれを否認している。)、二二日の検察官による弁解録取の際には、「泣いている赤ん坊の体の上に右足を乗せて」殺してしまった旨、概括的に殺人の事実を認める供述をしたものの、その直後の勾留質問においては一転して完全否認に転じたのに、その翌日(二三日)には、またも概括的ながら殺意と殺害行為を認め、更にその翌日(二四日)には、午前中の検証及び午後の取調べにおいて、犯行状況を詳細に自白し、以後は、犯行状況に関する供述の変転を重ねながらも、基本的にこれを維持してきたところ、公訴提起後、弁護人との接見の際に、三度び犯行を否認する供述をし、現在に至っていることが認められる。すなわち、被告人は、当初の完全否認から、次第に自白に近づき、一旦検察官に簡略ながら自白したが、その直後に裁判官に対し完全に否認したあと、その一日又は二日後の取調べ以降詳細な自白をするようになり、起訴後弁護人との接見以来、三度び犯行を否認する供述をするに至ったものであって、被告人の供述は、右のとおり否認と自白の間を激しく揺れ動いている。被告人の自白の内容については、二四日以降の分についても、後記のとおり、種々の変転があるのであるが、右のとおり、被告人の供述が、そもそも否認と自白の間を転々と揺れ動き安定していないことは、その信用性の評価にあたりまず注目しなければならない点であると考えられる。

一般に、捜査段階において一旦犯行を自白した者が、その直後にこれを争い出すについては、何らかの事情がある筈である。もちろん、したたかな被疑者が、捜査を混乱させる目的でことさら右のような態度をとることもあるであろうし、そうでない被疑者でも、あきらめて犯行を自白したのち、刑罰の厳しさに気付いて未練を生じ、何とか罪を免れたいとして否認に転ずるという場合も、あり得ると思われる。しかし、捜査段階における供述が、否認と自白の間を再々揺れ動く事案の中に、無この被疑者が、捜査官の不当な取調べに屈して虚偽の自白をさせられた場合が相当数含まれていることも、過去の経験の教えるところである。従って、被告人の捜査段階における供述が転々としている本件においては、右供述の変転が、自白が虚偽であることを示唆するものでないかどうかを、とりわけ慎重に留意して検討する必要があると考えられる。

三  自白内容の変転

次に、被告人の供述中犯行を自白するものについても、重要な点で矛盾・変転がみられることに、注目する必要がある。

被告人の捜査段階の供述には、被告人が当日腹痛を感じて医務室へかけ込み、ベッド上で子供を出産したのち、右嬰児が泣き声を出したため、人に気付かれないように、自分の足で同児の身体を押さえつけたところ、同児は静かになってしまった旨の記載があり、右記載は、その限りでは確かに一貫している。しかし、右供述を仔細に点検すると、その間に種々の点において供述の変転のみられることは、概ね弁護人が最終弁論において指摘するとおりであるが、ここでは、その最も重要と思われる点について、若干の指摘をしておこう。

1  供述の概要

まず、殺害行為に関連する被告人の捜査段階における供述の概要を掲げると、次のとおりである。

(1) 7.20員面

生まれた子供が私の右足の下のふくらはぎの下まで来て、頭をふくらはぎに当っている感触がした。ほっとしていると、子供がウギャウギャと二回泣いた。……産んだのがばれると思い見つからないように隠し毛布をかけた。そこへ女の人が通りかかったが、黙っており隠していたのですが、子供のオギャという声がしたので頭の上にある足を判らないようにしようとふくらはぎを倒した。

(2) 7.24員面

生れた赤ちゃんがウギャウギャと泣きはじめた。……奥のベッドに寝ている女性の様子を見ると、……私としては、赤ちゃんの泣き声に気付かれたのではと思っていました。すると、その女性は間もなくして起き私のベッドの方に歩いてきたので、……死んだ方がいいと思った瞬間、右膝後ろの関節部から太ももにかけて、赤ちゃんの頭付近を足で押さえつけて泣くのをやめさせた。……女の人は私の足元を通ってカーテンの方へ行き、又、ベッドの方へ帰り、ベッドへもぐった。その間二〇秒位あったと思うが、押さえつけていた足を上げ膝を折ったところ、また、ウギャと赤ちゃんが泣きはじめた。……又泣いたと思い、女の人の方を見ると、今度はむくっと起き上って私のベッドに近づいてくるので、今度は見つかってしまうと思い、力を入れて右膝後ろの関節部から太ももにかけて赤ちゃんの頭付近を足で押さえつけ、泣き声を消してしまった。押さえつけていた時間は一四秒から一六秒だと思う。

(3) 8.8検面

子供が私の太ももの下位にきていることは……判っていました。間もなくして子供がオギャーオギャーと二回私の太ももの下の方で泣き始めました。……それですぐに立てていた膝を伸ばし子供の体の上に足を乗せて泣きやませました。……私は、子供に泣かれて、一瞬もう一人の女の人に気付かれたのではないかと心配し(たが)、その女の人は、泣き声に気付いたのか知らないが、ベッドを出て私の足もとを通りカーテンの向うの方に行ってベッドに戻りました。その頃またオギャーと一回子供が泣いたので、力をゆるめた足をまたすぐに子供の上に乗せて押えて、泣くのを無理に止めました。……ちょうど、私の右太ももの裏位で子供の頭か胸あたりの上に乗せて押しつけたのです。

(4) 8.9検面

子供がオギャーオギャーと二回泣き出したので、すぐ傍に寝ていた女の人などにバレてしまうと思い、……子供の頭の上あたりをさぐり、そこにそれまで立てていた両膝を伸ばし、子供の頭の上に右足を乗せて少し力を入れて押さえつけた。右太ももにかための子供の頭がさわっているのが判りました。頭といっても首に近い方でした。……感触で頭の上に足を乗せたのが判りました。ちょうど、私の右膝の裏側のすぐ上位に子供の頭が触れていました。……傍に寝ていた女の人は子供の泣き声に気が付いたのか、ベッドから降りて私の足もとを通り、……カーテンの向側に行って様子をうかがった感じでしたが、二〇秒位して再びベッドに戻りました。……その間ずっと右足で押さえつけていたが、ホッとして一瞬右足の力をゆるめたところ、また子供がオギャーと一回泣き出したので、すぐに押さえつけました。……その後、二、三分して、女が医務室から出ていったので、それまで押しつけていた右足の力をゆるめましたが、子供から足は降ろしませんでした。

2  殺害行為の態様について

右各供述中、殺害行為の態様に関する部分の変転状況をみてみると、まず、7.20員面では、被告人が嬰児を押さえたのは一回だけで、その態様は、自分の右「ふくらはぎ」で子供の「頭」を押さえたとされていたのが、7.24員面では、「右膝後ろの関節部から太ももにかけて」で嬰児の「頭付近」を、しかも二回にわたって押さえたことになり、その時間も、「二〇秒位」、「一四秒から一六秒位」と具体的になっている。しかるに、その後の8.8検面では、押さえた回数は二回で7.24員面と同じであるが、同員面の「右膝後ろの関節部から太ももにかけて」ではなく完全に「右太ももの裏位」で、子供の「頭付近」ではなく「頭か胸あたり」を押えたとされ、更に、翌日の8.9検面では、「太もも」ないし「右膝の裏側のすぐ上位」で子供の「頭(といっても首に近い方)」を押さえた旨、再び微妙な変転を見せ、押さえた時間に至っては、一回目は「二〇秒位」で変りはないが、二回目は、「二、三分」(しかも、その後も足を降ろさなかったという。)と大幅に増加している。

本件公訴事実の核心的部分である殺害行為の態様に関する被告人の供述が、何故にこのようにたびたび変転したのかについては、調書上何らの記載がなくIもこれを明らかにし得ないので、推測するほかはないが、ここでは、弁護人が指摘するように、七月二四日午前中に行われた検証の結果、被告人が、下着を膝に引っかけた状態で、7.20員面にあるように、右足のふくらはぎを倒」したとすることに無理があると判明したため、捜査官において、これを供述調書に反映させようとしたためではないかという疑いを禁じ得ないことを指摘しておく。

なお、取調べに当たったJ検事は、証人として、被告人の供述に現われた「ふくらはぎ」、「膝」更には「太ももにかけて」も、「要するに膝の後ろ側ということ」で「表現は違いますが、場所は大体同じ」と考えていた旨供述している(七〇五丁)。確かに、「右ふくらはぎ」と「右膝後ろの関節部」は接着しており「右膝後ろの関節部」と「太もも」も部位としては近い。しかし、「ふくらはぎ」と「太もも」とは、身体の部位としては、明らかに別個のものであって、これを、「膝の後ろ側ということで大体同じ場所」とか「表現の違い」といって片付けてしまうのは、強弁のそしりを免れない。また、検察官は、論告において被告人は、嬰児娩出の模様を感覚的に察知するに止まり、殺害行為もとっさの間に文字通り足さぐりの状態で敢行しているのであるから、供述にある程度の変遷やあいまいさが残ったものである旨主張しているが、被告人が、検証の際の指示説明又は捜査の最終段階の供述におけるように、単に、立てていた膝を伸ばして、太もも付近で新生児の頭などを押さえたというのであれば、当初これを、ふくらはぎを倒して、頭を押えたなどと供述するとは、通常考え難いのであって、右各供述の変転を、「とっさの間の足さぐりの犯行」という一事から合理化するのは、やはり無理であると思われる。

3  産声を聞いた時期等について

被告人の自白調書中の嬰児の産声に関する部分は、当初「ウギャウギャ」ないし「オギャーオギャー」という声(以下、「一回目の泣き声」という。)を聞いたあと、しばらくして、再び「オギャ」、「ウギャ」ないし「オギャー」という声(以下、「二回目の泣き声」という。)を聞いたとする点ではほぼ一貫しているといえるが、その声を聞いた時期・状況及びその後の行動に関する供述は、変転している。すなわち、7.20員面は、一回目の泣き声を聞いたあと、女の人が通りかかった際、二回目の泣き声がし、それを消そうとしてふくらはぎを倒したとの趣旨に理解されるのに対し、7.24員面では、一回目の泣き声のあと、女の人が歩いてきたので嬰児を足で押さえて泣くのをやめさせたのであり、同児が二回目の泣き声をあげたのは、女の人がカーテンの方へ行って再びベッドに戻ったのちのことであって、その後、被告人は、同女が再びベッドから下りて近付いてくるのを見て、再度嬰児の体を押さえたとされている。ところが、8.8検面、8.9検面では、被告人は、一回目の泣き声を聞いてすぐ嬰児の体に足を乗せ、その後女の人がカーテンの方へ行ってベッドへ戻ったのちに、一瞬足をゆるめた際、児が二回目の泣き声をあげたので再び押さえたとされている。ここでは、足で嬰児の体を押さえた直接の動機としては、産声の点のみが指摘され、従前、殺人の動機と密接な関連があるものとして述べられていた女の人のベッドへの接近の事実は、動機とは直接関係がないこととされている。

そして、嬰児殺害の動機と密接に関連すると思われる産声を聞いた時期・状況等に関する被告人の供述が、このように変転した理由については、各供述調書中に何らの記載もなされていない。

四  供述内容の不合理性

弁護人は、最終弁論において、被告人の捜査段階における供述中には、種々不自然・不合理なものがあるとして、具体的な指摘をしているところ、右各指摘のうち少なくとも次のもの、すなわち、

(1)  7.20員面中「子宮が開くような感じがした」という部分

(2)  7.20員面、7.24員面、8.8検面中、両手で腹を押して子供を押し出そうとしたとの趣旨の部分

(3)  7.20員面中「子供が頭から出てきた感じがよく判」ったとの部分

(4)  7.24員面中「子供の頭が生理帯の中央付近にひっかかった感じがした」との部分

(5)  7.20員面、8.9検面中、ふくらはぎや太ももに、子供の「頭」や「頭といっても首に近い方」が当たっている感触がしたとの部分

(6)  7.24員面、8.9検面中、女の人がカーテンの方へ行き戻る時間を「二〇秒位」としたり、「押えつけていた時間は一四秒〜一六秒」としたりする部分

(7)  8.7検証中、赤ん坊が「うつ伏せ」の状態で生れ、その後「横向き」となったと指示説明した部分

が、鈴木鑑定、G証言その他の客観的証拠に照らし、不自然・不合理であると考えざるを得ないことは、概ね、弁護人の指摘するとおりであると認められる。

もっとも、検察官は、右のうち(1)(2)の点は、鈴木鑑定人の供述の趣旨からみて不自然であるとはいえない旨主張しているが、同鑑定人は、「子供が下がるような感じ」と「子宮が開くような感じ」とを明確に区別し、前者の表現は言う人もいるが、後者の表現は聞いたことがないとしているのであるから(一〇一六丁)、少なくとも、7.20員面に記載された子宮云々の表現は、通常の産婦が口にしない特殊な表現であることが明らかである。次に、(2)の点について、同鑑定人は、産婦が出産を早めるために通常とる行動は、息むとか何かにつかまって踏んばるなどであって、自分で腹部を押す人は見たことがない旨明言しているところ(一〇一七丁)、検察官は、右は医師等の介助を受けられる正常な出産の場合であって、被告人のように、介助なしに出産する場合の産婦の行動については、右供述は妥当しない旨反論している(なお、検察官は、同鑑定人が、介助の場合に腹部を「押さえる」ことがあると供述している旨主張するが、同鑑定人は、腹部を「さする」ことを指導することがある旨供述するに止まり〈一〇一八丁。これは、痛みをやわらげる心理的な効果を狙ったものであろう。〉、腹部を「押さえる」ことがあるとの供述は、これをしていない。)。しかし、出産にあたり産婦が自然にとる行動が、介助の有無によって極端に異なるとは到底考えられないから、右検察官の主張は、前掲鈴木供述を前提とする弁護人の指摘に対する的確な反論であるとは認め難い。

五  客観的証拠による裏付けの欠如

被告人の自白の核心をなす部分は、(1)出産後嬰児が産声を発したこと、及び(2)被告人が意識的に同児の体を足で押さえつけて泣き声を消したということの二点に帰着する。ところで、右(1)の産声に関する供述調書の記載中には、嬰児が「ウギャウギャ」「ウギャ」という産声をあげた(7.20員面、7.24員面)というものもあるが、最終的には右産声は「オギャーオギャー」、「オギャー」という表現に統一されており(8.8検面、8.9検面。なお、8.22検弁録も同旨)、右のうち、少なくとも後者の表現は、嬰児が通常の産声(換言すれば、健常な新生児の産声)をあげたことを意味するものとして使用されていると考えるべきであろう(なお、右のうち、前者〈ウギャ〉は、一見嬰児が仮死産児であったことと通ずる表現ではあるが、供述調書中には、右産声が弱々しいものであったとする記載は全くなく、もとより捜査段階において嬰児が仮死産児であった可能性が検討された形跡も窺われない。)。しかし、当時、同室するDらが嬰児の産声を聞いていないこと、被告人のごく近くで寝ていたEですら、前記(第三、二の2、3)の程度の供述しかしていないことなどからみて、右自白調書中の嬰児の産声の点は、大ざっぱに産声ということで考えるならばともかくとして、健常な新生児のそれを前提とする限り、客観的証拠の裏付けがほとんど全くないことに帰着する。また、(2)の点については、本件嬰児の死体に、右自白の真実性を客観的に保証するような痕跡が存しなかったこと、死体解剖の結果によっても、結局、死因はこれを確定し得ず、右(2)の被告人の供述の真実性を客観的に支える証拠が見当らないことなどはすでに詳細に指摘したとおりである。

六  第三者の供述との矛盾・抵触

1  被告人の自白調書中嬰児の泣き声を聞いた時期・状況に関する部分に変転があることは、前記三記載のとおりであるが、右各供述は、いずれにしても、E供述と矛盾・抵触している。

2  すなわち、前記三、1、3のとおり被告人が嬰児の泣き声を聞いた時期に関する供述は、一回目の泣き声については、いずれも、女の人(この女性がEを指すことは、前後の事情から明らかである。)が奥のベッドにいる際であるとされるが(ただし、7.24員面では、被告人が嬰児の体を足で押さえたのは、Eが自分のベッドを下りて被告人のベッドの近くを通りかかった際のように理解される。)、他方、二回目の泣き声については、7.20員面では、Eがベッドを下りて被告人のベッドの近くを通りかかった際であるとされているのに対し、7.24員面、8.8検面、8.9検面では、同女が一旦カーテンの方へ行って再び自分のベッドへ上ったのちのこととして述べられている。これに対し、右の点に関するE供述は、検面・巡面とも、赤ん坊の泣き声(のような声)を聞いたのは、二回とも同女が引き続いてベッドの上にいる間のことであり、その後ベッドを下りてカーテンの方へ行った際や、再びベッドに戻った際には、泣き声(のような声)を聞いていないとする点で一貫しているのである(なお、E証言では、泣き声を聞いたかどうかがあいまいになっているので若干問題であるが、「泣き声といえば泣き声のような声」を聞いた時期について、捜査段階と異なる趣旨の供述をする趣旨とは考えられない。)。

3  このように、被告人とEの各供述中には、殺人の動機と密接な関連を有する嬰児の産声を聞いた時期等に関し、看過し難い矛盾・抵触が存するのであるが、それでは、右の点は、被告人の自白調書の信用性の判断上どのような意味を持つと考えるべきであろうか。まず、泣き声(のような声)を聞いた時期に関する自白とE供述の信用性を比較してみると、当時、Eは、睡眠から覚めかけた状態ではあったが、同女が、ベッド上で二回にわたる物音を聞いた直後、不気味になってカーテンの方へ様子を見に行き、その後一旦ベッドへ戻ってから医務室を出たという当時の印象的な行動を明確に、かつ、一貫して供述している点から考えて(同女が聞いた物音が嬰児の泣き声であったか否かはともかく、)、右二回にわたる物音を引き続きベッド上で聞いたとする点に、記憶の誤りの混入する蓋然性は小さいと考えられる。そこで、次に、右E供述を前提として考えてみるのに、もし、Eの聞いた物音が二回とも嬰児の産声であったと仮定すると、同女がベッドに引き続き横臥している間に聞いた物音が、二回ともその都度途切れたという同女の供述に照らし、嬰児は(新生児が、一旦産声を発して泣き出しながら、特段の事由もなく、泣き止んだりすることは、通常考え難いから、)、Eがベッドを下りてカーテンの方へ行く行動をとるより前に、すでに声を発することのできない状態になっていたと考えざるを得ない。そうすると、被告人の7.20員面及び7.24員面中、女の人(E)が被告人のベッドに近づいてきたので足で嬰児の体を押さえて泣くのをやめさせたとする部分は、明らかに右E供述と矛盾してしまうこととなり、右の矛盾・抵触は、犯行の直接の動機と密接に関連するだけに、看過し難いものといわなければならない。もっとも、8.8検面、8.9検面においては、嬰児殺害の直接の動機からEの行動が完全に除外され、被告人は、二回とも産声を聞いた際直ちに足で嬰児の体を押さえたとされているので、右の点に関する限り自白とE供述との抵触は解消されたが、二回目の泣き声を聞いた時期が、Eが一旦カーテンの方へ行った時より前であったか否かの点については、依然としてE供述と矛盾しているし、そもそも、嬰児殺害の直接の動機とEの行動が関連しているのか否かというような点につき、被告人が何故に供述を変転させたのかについては、供述調書上何らの記載がなくIもこれを明らかにし得ないのであって、そのこと自体、自白の信用性を減殺する事情といわなければならない(ちなみに、検察官は、被告人が嬰児殺害の決意をした状況につき、論告において、「Eが嬰児の泣き声をきいて近づいて来たことから発覚するとおそれ、それまでの苦悩の感情が一気に爆発し、とっさに確定的な殺意に発展した」と主張しており、右は、被告人の7.24員面に依拠したものと思われるが、右員面が、前記のとおり信用性が高いと認められるE供述と矛盾・抵触するものであることは前述のとおりであり、また、右論告も、被告人の捜査段階における最終的な供述である8.8検面、8.9検面によらず、7.24員面に依拠した理由については、何らの説明もしていない。)。

4  それでは、産声に関する被告人の自白が、E供述と抵触するに至った理由は、奈辺にあると考えるべきであろうか。右の点については、当時被告人が、出産直後の異常な状態にあったことからみて、被告人は、産声を聞いた際のEの行動について記憶ちがいを生じたにすぎず、右は、むしろ捜査官がE供述に捉われずに、被告人に自由に事実を語らせた結果であるという見方も全くできないわけではない。しかし、もし被告人が、検面におけるように、二回にわたる泣き声を聞いた際、Eが二度ともベッド上にいたというのが真実であるとすれば、これを、7.24員面のように、Eが近付いて来た際に嬰児が泣いていて、これをやめさせることが殺人の動機となったように誤って記憶・供述するということは、当時の被告人の心身の状態を考慮に容れても、通常考え難いことであるし、また、その逆の想定(すなわち、Eが近付いてきた際に嬰児が泣いたというのが真相であるのに、被告人が、誤って二度ともEがベッド上に居る際のことと記憶したという想定)も、やはり不自然さを免れない。そして、右の点に加え、自白調書中嬰児の産声を聞いた時期等に関する部分が、前記のとおりたびたび変転していることをも併せ考えると、この点については次のような見方、すなわち、被告人に対する取調開始当時、Eは、赤ん坊の泣き声のような声を、時を隔てて二回にわたって聞いた(ような気がする)という供述をしていたため、取調べ官において、被告人が間違いなく右二回の泣き声を聞いた筈であるとの前提で取調べを行った結果、被告人も、嬰児が二回産声をあげたこと自体は否定しようのない事実であると信じ込み、明確な記憶のない産声の点を殺人の動機と関連づけて、取調べ官の誘導に従い尤もらしく供述した結果であるという見方の方がはるかに合理的であると考えられ、これと同旨の事情を挙げて自白調書の信用性を争う被告人の弁解は、にわかにこれを排斥することができない。もっとも、そうであるとすると、取調べ官が被告人に対し、何故に、E供述と矛盾する供述をさせたのかが問題となり得るが、被告人に対する取調べの初期の段階では、取調べ官にとって、E供述と被告人の供述との矛盾が明確には意識されていなかったとも考えられるし、後日、検察官が、右の矛盾に気付いた段階では、一回目の泣き声のあと、Eがカーテンの方へ行き、同女がベッドへ戻ったのちに二回目の泣き声がしたとする7.24員面が作成されていたため、いまさら二回目の泣き声が、Eがベッドを下りる前であった旨供述を大幅に変更させるのが躊躇されたため、ひとまず、泣き声を聞いたのは二度ともEがベッド上にいる際のことであったということにさせて、E供述との矛盾を最少限度に止めようとしたのではないかという推測を容れる余地がある。

このようにみてくると、産声を聞いた時期等に関する自白とE供述の矛盾・抵触は、殺意及び殺害行為に関する自白の信用性に疑いを抱かせる相当重大な事由であるといわなければならない。

七  秘密の暴露の存否

一般に、被告人の自白に現われた、それまで捜査機関に判明していなかった新たな事実が、他の客観的証拠によって確認された場合には、右自白は、いわゆる秘密の暴露を含むものとして、その信用性が強く保証されたものということができる反面、右のような秘密の暴露を含まない自白は、これを包含する自白と比べ、信用性が劣ると考えられている。もっとも、右秘密の暴露の概念は、もともと、犯人と被告人の同一性が争われている事案において、自白の信用性判断の重要な基準になると考えられていたものである。すなわち、右のような事案においては、被告人は、終始犯行には全く関係しておらず、犯行現場へも行ったことがないと主張しているのが通常であるから、被告人の供述の結果、犯罪行為自体に限らず、例えば現場の状況等についてでも、捜査機関の知り得なかった状況が明らかとされれば、自白は、被告人が犯行現場へ赴いたことがあるという限度で強力な裏付けを取得し、ひいては、犯罪行為自体に関する自白も、相当程度信用性を取得すると考えられる。これに対し、本件のように、被告人が終始現場に居たこと、右現場で嬰児を出産したこと及び同児がその直後に死亡していたこと等につき争いがなく、ただ、同児の死が被告人の殺害行為により惹起されたか否かだけが争われている事案においては、殺害行為に関係しない部分に仮に秘密の暴露が含まれていたとしても、これが殺害行為に関する自白の信用性を強く担保するということにはならない。他方、本件のように、争いが殺害行為の存否だけに絞られており、しかも、死体の状況等につき捜査官が当初から確実な情報を得ている場合には、もともと秘密の暴露というような現象は生じ難いのが通常であるから、自白中に秘密の暴露に相当するものが見当らないからといって、そのことだけで、自白の信用性を強く疑うのは相当でない。

ところで、本件における被告人の自白中、秘密の暴露にあたるか否かが問題となり得るものは、被告人が出産直後に臍帯を右手でつかんで胎盤を引張り出したとする部分だけであり、右は、もとより殺害行為自体に関するものではないから、その意味で、もともと証拠上の重要性は、それほど大きいとはいえない。しかし、もし右供述が秘密の暴露にあたるとすると、右は、被告人が、出産直後においてもある程度意識的な行動をとっており取調べを受けた当時、右行動についての記憶を有していたことを示唆するものとみる余地があり、間接的ながら、自白の信用性の判断に影響するところがないとはいえないと考えられるので、以下、念のため右の点につき検討しておく。

供述調書中の問題の部分は、「(出産直後)股のところに手をやりまさぐったところ、ヌルヌルした物が手にさわったのです。これはさい帯であるということが判り引張ったのです。するとなんとなく、すっとした感がしたので、あ、胎盤が出たと思ったのです。」(7.20員面)というもので、同様の記載は、7.24員面、8.8検面にも存在する。そして、Fは、第三回公判において、被告人の右手の指先に、血がついていたとの趣旨の証言をしており(四一丁)、取調べずみの同人の捜査官に対する供述調書(7.16付、7.18付)中には右の点に触れた部分が見当らないから、臍帯を引張り出した旨の被告人の捜査段階における供述は、一見、右F証言により事後的に裏付けられたかのように考えられないではない。しかし、被告人の右手に付着していた血に関するFの供述が、どの段階で検察官又は警察官になされたのかは、必ずしも明らかでなく(前記F証言が、検察官の誘導的な尋問に対しなされていることからみて、検察官は、Fに対する尋問前にFの右供述を知っていたことが明らかであるが、捜査又は公判のどの段階で右供述が得られたのかを知る的確な証拠はない。)、被告人の前記供述以前に、捜査官が被告人の右手に血が付着していたとの情報を誰からも得ていなかったとは断言し難い。また、Dらの通報によって現場へかけつけた山崎は、当初から、新生児と胎盤をつなぐ臍帯が、被告人の膝付近に押し下げられた下着と足との間を通っていたという不思議な状況(かかる状況が、どのような経緯によって現出されたのかは、ついに明らかにされ得なかった。)を目撃しており、右情報は、当然、捜査の初期の段階に捜査官にもたらされていたと考えられるから、捜査官において、右のような臍帯のなぞにヒントを得て、被告人が自らの手で胎盤を引張り出したのではないかと考え、その旨被告人を誘導するということも、考えられないわけではない。のみならず、右F証言その他の関係証拠を仔細に検討すると、F証言によって、被告人の「臍帯を引張って胎盤を引き出した。」とする供述が、客観的に裏付けられたわけでないことも、後述するとおりである。

このようにみてくると、被告人の捜査段階における供述中、秘密の暴露にあたる可能性のある唯一の部分も、厳密な意味では秘密の暴露にあたらないというべきであるし、仮りに秘密の暴露にあたるとしても、それが、殺害行為に関する被告人の自白の信用性を強く保証するものではないといわなければならない(もっとも、自白中に秘密の暴露がないからといって、それだけで、自白の信用性が極めて疑わしいということになるわけでないことは、前述のとおりである。)。

八  臨場感、迫真力ある供述の存否

1  検察官の主張

検察官は、自白中に、実際に体験した者でなければ供述し得ないような臨場感、迫真力のある供述部分があるとし、次の諸点を指摘している。

(1) 7・20員面、7・24員面中、「……膝を立てスカートを両手でめくり、出て来る感じでいっぱいになり……股を大きく出し易いように開げた」との部分

(2) 7・20員面中「……子供が頭から出てきた感じがよくわかり、そのうち出た……」

(3) 7・20員面、7・24員面、8・8検面中「股のところにいずれかの手をやり、まさぐったところ、ヌルヌルしたものを手で触った。臍帯であることが判り、引張ったりするとなんとなくすっとした感じがしたので、胎盤が出たと思った」との部分

(他にも、子宮が開くような感じがしたとの部分及び腹部をぎゅっと押したとの部分についても言及するが、すでに触れたので、重複を避ける。)

2  右の検討

しかし、被告人が、現に本件医務室のベッド上で新生児を分娩したこと自体は、厳然たる事実なのであるから、出産中の女性の異常な心理状態を考えても、出産の状況に関するその供述に、ある程度の臨場感が伴うのは当然のことであって、そのような表現が一部に存するからといって、殺害行為を含むその供述全体の信用性が強く保証されるということにはならない。のみならず、検察官指摘にかかる右各供述部分も、よく考えると、それ自体の中に種々の不合理を含み、逆に、供述全体の信用性を疑わせるものというべきである。すなわち、

(1)について

「股を大きく広げて出易いようにした」とあるが、当時被告人は、生理帯とガードルを膝付近まで押し下げた状態であったため、その状態では、「股を大きく広げ」ることが困難であったことは、8・7検証の結果により明らかである。

(2)について

出産中の女性にとって、子供が「頭から」出てきたかどうかを認識することができないことは、我妻証言及び鈴木鑑定に照らして明らかである。

(3)について

鈴木鑑定によると、胎盤は自然に出てくるもので、「産婦が胎盤を自分で出さなければならないような意味はない。」(一〇二〇丁)とされている。もっとも、検察官は、被告人は、楽になりたいと思って引張ったのではなく、たまたま臍帯に手が触れたから引張ったにすぎないので、右は、何ら不自然な行為ではないというが、産婦が、臍帯のようにヌルヌルとした気持の悪いものを、たまたま手に触れたというだけで、特に何の意味もなく引張ったと考えるのは、やはり問題であろう。また、F証言によれば、被告人の右手の状態は、「右手の指先のほうに、ちょっと血がついているな」という感じで、その量は、「ある程度」ではあるが「べっとりではない」というのであるから(第三回公判四一丁)、果たしてそれが、多くの血液が付着していたと考えられる臍帯をつかんで引張った結果ついたものなのか、出産後ベッド上に貯留した血液に被告人が何かの機会に触れたために付着したにすぎないものかも確定し難いのであって、右被告人の供述に確実な裏付けがあるわけでもない(むしろ、鈴木鑑定によると、本件嬰児のように、胎盤が小さく胎盤機能不全の存する場合には、一般に胎盤は早く出るとされているので〈一〇二〇丁〉、被告人が、胎盤を自分で引張り出す必要性は、ますます小さくなる。)。

九  自白調書の作成経過に関する特殊事情

1  緒説

前記第六において詳細に検討したとおり、被告人の捜査段階における自白調書等は、被告人の当時の特殊な健康状態に対してほとんど何らの配慮をしないまま、追及的に、その弁解を全く聞き入れないような態度で、かなりの長時間にわたって行われた取調べによって(又はその影響下に)作成されたものと認められるのであって、仮りに当裁判所と見解を異にし、右のような取調べが行われたというだけではいまだ自白の任意性に疑いは生じないという立場に立つとしても、右第六において検討した諸事情が、虚偽供述を誘発し易いものであることは、これを否定し難いことが明らかであるから、少なくとも自白調書等の信用性判断の上では、この点を十分考慮に容れる必要があると考えられる。

ところで、本件においてⅠら捜査官は、何故に、前記第六において述べたような不当な取調べ方法に走ってしまったのであろうか。この点は、第六において指摘した不当な取調べ方法の程度、さらには、その結果作成された自白調書の信用性等の判断上影響するところが大きいと思われるので、以下においては、右取調べ方法の原因となったと考えられる本件の特殊性等について触れておくこととする。

2  本件の特殊事情(1)(情況証拠の存在)

Ⅰらの不当な取調べ方法の原因となったと考えられる本件に特有な事情としては、本件では、いわゆる情況証拠が一見被告人に圧倒的に不利であって、よく考えないと(あるいは、出産前後の女性の特殊な精神的・肉体的状況についての知識がないと)、被告人が本件嬰児を殺害したことは明らかであると考えられ易いこと、更に、現場及び嬰児の遺体の状況などは、ほぼ完全に捜査官の把握のもとにあったことが挙げられる。

まず、(1)本件嬰児を出産したのが被告人であり、また、同児が発見された状況からみて被告人以外の者が同児の死とかかわった疑いは全くないこと、(2)被告人には、前記第五、二記載のとおり、一見、同児を殺害したいと考えても不思議はないと思われる事情が認められたこと(すなわち、犯行の動機があるように思われたこと)、(3)被告人が、出産の直前直後に、第三者に全く救助を求めておらず、一つ置いた隣りのベッドに寝ていたEにすら気付かれずに出産を完了していること、(4)G医師は、入院直後被告人が、児は涕泣した旨供述したとの情報を捜査官にもたらしていたと考えられ、また、Eも警察の取調べに対し、少なくとも、そういえば赤ん坊の泣き声のような声を聞いた旨供述していたこと、などの点は、すでに詳細に認定・説示したとおりである。もっとも、右(1)ないし(4)の事情も、これを仔細に分析・検討すれば、それだけでは被告人の殺意や殺害行為を推認させるものではないことが判明することは、前述のとおりであるが、しかし、右は第一線の捜査官に、出産のメカニズムや仮死産の可能性、更には出産前後の女性の精神的・肉体的状況などについての各知識が欠けていたこととあいまって、彼らに、被告人の有罪を確信させるに十分なものであったと考えられる。捜査官にとって本件は、まことに明々白々な、極めてありふれた嬰児殺事件と思えたことであろう。このような確信に陥った捜査官が、被告人の否認の供述に接しても、これを前刑の執行猶予の取消しを恐れる余りの虚構の弁解として一笑に付し、被告人に対し、前記のような追及的で弁解を許さない態度での取調べを行ったことは、ある意味では自然の成行きであったと思われる。これに、褥婦の健康状態に関する捜査官の認識不足が加わる。被告人がその肉体的・精神的な状況からすれば、明らかに苛酷と思われる状況下で、右のような取調べを受けたとすれば、たとえ身に覚えのない事実であっても否認を貫き通すことは、事実上著しく困難であったというべきであろう。

3  本件の特殊事情(2)(直接証拠ないし強力な客観的証拠の不存在)

また、本件については、右のとおり多くの情況証拠がありながら、肝心の殺意及び殺害行為に関する直接証拠又は決め手となるような強力な客観的証拠(例えば、扼頸の痕跡等)が存しなかった。このことも、捜査官として、被告人の自白獲得に狂奔させる重要な一因となったと思われる。しかも、捜査官側はすでに、本件当時の医務室内の状況等につき十分の情報を得ていたものである。捜査官の想定した被告人の犯行は、いずれにしても、毛布の下に産み落された小さな嬰児に対し、何らの兇器を用いることなく、咄嗟の間に行われた筈のもので、もとより直接の目撃者はいない。従って、捜査官としては、殺害行為の態様等について、いかようにも被告人を誘導して取り調べることもできた筈である。被告人の殺害行為に関する供述が前記のとおり転々と揺れ動き、また、その供述中に多くの不合理が包合されるに至ったのは、出産を経験したことのない男性である取調べ官が、出産時の産婦の状況等に関する誤った又は不十分な知識を前提に、被告人を不当に誘導した(あるいは、追及的な取調べに屈した被告人が、自己の記憶のない事項について想像を交えて供述した)ためではないかという疑いは、これを拭い去ることができないといわなければならない。

一〇  被告人の初期供述との一致点があることについて

1  初期供述の内容

被告人は、昭和六〇年八月九日本件につき公訴を提起されたのち、前記二記載のとおり、選任された国選弁護人との接見を通じ、三度び事実を否認するようになり、獄中から弁護人に対し、たびたび手紙を出し、自己の無実を訴える一方、同年一〇月二日の第一回公判期日においても、公訴事実を否認する陳述をした。

右各手紙の内容は、一貫して、殺意及び殺害行為を否認し、逮捕後の不当な取調べにより自己が自白させられた状況を迫真力ある表現で訴えるとともに、当時の記憶に基づき、出産の直前直後の状況を描写するもので、基本的には、その後の公判廷における供述と一致するものであるが、右手紙及び第一回公判期日における供述(以下、これらを一括して、弁護人の用語に従い、「被告人の初期供述」という。)の中には、検察官も指摘するように、一部その後の公判供述と矛盾し、むしろ捜査段階の自白と一致する不利益事実の承認が含まれている。そして検察官は、被告人が、弁護人と接見し自己の刑責を否定しようとする心境になりながら、なおかつ、不利益事実を承認した事実を重視し、右は自白の信用性を保証し被告人が有罪であることを窺わせる重要な証拠であるとしている。

2  初期供述の検討

確かに、被告人の一〇月一二日付消印の弁護人あて手紙には、「その為、さい帯を自分で意識して引っぱり出した様な供述書になった分けですが、私が覚えているかぎりでは、確かに何かに触った感じわありますが、それを引っぱった様な気もしますが、それがさい帯かどうかは、良く分かりませんでした。ですから、胎盤が出たかどうかなど分かりませんが、痛みは消えました。」「女子社員が足もとを通ったので、それまでボケッとしていたのでドキッとして足をおろしたとゆうか、姿勢を正したとゆう方が適切だと思います。人間ビックリすれば確(ママ)でも身構えるものです。それが寝ている状態で足を立てていたら自然に足がおりるものです。」「足のひざあたりに、子供の感触があったのは覚えていますが、それが子供のどの部分かわ、見た分けではないので分かりません。」などの記載があり、これによると、被告人は、右手紙の中で、①臍帯かどうかわからないが、何か触った感じがしたものを引張ったような気がすること、②足のひざあたりに、どの部分かは分からないが子供の感触があったこと、③女子社員が足もとを通った際、ドキッとして姿勢を正したので、立てていた足を下ろしたかもしれないことを、いずれも認めているとみられる。また、被告人は、第一回公判期日(一〇月二日)における意見陳述の際、「私の足が子供の体に触れていることは分かっておりましたが、子供のどの部分に足を乗せたか分かりません。私としては、意識的に子供の頭とか顔に足を乗せたことはなく、子供を殺そうと思ったことはない。」旨述べて、殺意と意識的な殺害行為を否認したが、②の点はほぼこれを認めており、③の点に関する答弁は、必ずしも明確でないが、意識的ではないにせよ、自分の足を子供の体の上に乗せた事実を認める趣旨のものと解せられないことはない。このように、被告人が、供述の自由の十分保障されている筈の公判廷において、又は自己の心中を最も正直に打ち明ける筈の弁護人に対する手紙の中で、部分的でやや不明確ではあるにせよ、捜査段階の自白と同旨の供述(従って、その後の公判廷における供述とは趣旨を異にする供述)をしたことは、一般的にいえば、検察官の主張するとおり、被告人の捜査段階の自白の信用性を保証し、これと異なるその後の公判供述の信用性を弾劾するものであることは、これを否定し難い。

ところで、被告人は、その後公判廷において、右①ないし③の事実は、現在は全く記憶がない旨供述するとともに、手紙や意見陳述で前記のような供述をした理由について、「最初の頃の手紙では、どういう状態でというのは覚えてない部分も、警察の調書の中でこういうふうな状態だというふうになりましたんですけど、そのことをただ書いていたという方が正しかったと思うんで、『殺す意思がなかった。』ということを最初言いたかったんで、その内容というのは警察の供述書に沿ったものが多かったんだと思います。」「記憶としては、警察で言われたことを、ほとんどそのまま、そうじゃないかと思い込んでいた部分が多かったと思います。」「(第一回公判の)頃は、記憶じゃなくて、警察のかたなどが、足が触れていて、それで足が乗っていたというのが事実だと、わたしも思い込んでまして、それは間違いないと思ってましたから、そのまま『足が触れていたのがわかった。』というふうに答えたんだと思いますけれど。」などと説明している(第二九回公判一二五七丁ないし一二五八丁)。右説明は、趣旨必ずしも分明でない点もあるが、要するに、初期供述の頃は、自分の足が子供に触れていたり、自分が足を伸ばしたことなどは、警察の取調べの結果事実であると信じ込まされていたので、そのことを前提とした上で、自分が足を伸ばしたにしても、意識的にしたものではなく、殺意はなかったとの事実を、稚拙な表現で訴えようとしたものと解される。

そして、すでに再々にわたって詳しく指摘した取調べ当時の被告人の健康状態、苛酷な取調べ方法等に照らして考えると、被告人が、取調べ官から突きつけられた客観的事実関係等からみて、自分が意識的ではないにせよ足を伸ばして新生児を死亡させてしまったこと自体は事実である旨信じ込むことは、あり得ることと考えられる(特に、被告人が、出産直後のため当時の記憶として確たるものを有していなかったときは、そのようなことがいっそう生じ易いと思われる。)そして、捜査段階において、一旦そのように思い込まされた被告人が、取調べに対しそのような供述をするに止まらず、いまだ身柄拘束中の初期の公判段階においても、取調べの影響から完全には脱却し得ないまま、真実の記憶と異なる不利益事実の承認をすることがままあり得ることは、いわゆる冤罪事件に関する過去の多くの先例(豊橋母子三人殺人事件〈名古屋地豊橋支判昭四九・六・一二判時七七六号一〇三頁〉、鹿児島夫婦殺し事件〈福岡高判昭和六一・四・二八刑月一八巻四号二九四頁〉、旭川日通所長殺し事件〈旭川地判昭和六〇・三・二〇判時一一七一号一四八号〉、免田事件〈熊本地八代支判昭和五八・七・一五判時一〇九〇号二一頁〉、総監公舎爆破未遂事件〈東京地判昭和五八・三・九判時一〇七八号二八頁〉のほか、名古屋高金沢支判昭和五九・一〇・一五判時一二〇八号一四一頁など枚挙にいとまがない。)の教えるところであるから、捜査段階において、虚偽自白を誘発し易い不当な取調べが行われたと認められる本件においては、被告人の初期供述に一部自白と一致する不利益事実の承認が含まれているからといって、これを、自白の信用性を強く保証するものとして採証上重視するのは相当でない。

一一  自白の信用性に関する結論

以上、詳細に検討したとおり、被告人の捜査段階の供述(主として自白)は、仮りにその任意性を肯定するとしても、(1)その供述内容が否認と自白の間を転々と揺れ動き、(2)自白内容の中にも、重要な点で変転があり、(3)その中には看過し難い不合理な点があり、(4)核心的部分につき客観的証拠による確実な裏付けもなく、(5)重要でないとはいえない点で、第三者の供述と矛盾・抵触し、(6)秘密の暴露等自白の信用性を客観的に、又は強く担保するものも認められず、しかも、(7)取調べにあたって虚偽自白を誘発し易い不当な取調べが行われていることなどの諸点に照らし、その信用性に重大な疑いを抱かざるを得ないものである。従って、右自白は、すでに検討した自白を除くその余の証拠によって認められる事実関係と併せても、被告人が殺意をもって本件嬰児の体を足で圧迫して殺害したという本件公訴事実を肯認させ得る証拠価値を有するものとは認められず、本件については、仮死状態で娩出された嬰児が、分娩中又は娩出直後に適切な介助・蘇生術を受けられないまま死亡したのではないかという合理的疑い(いわゆる出産事故の可能性)が払拭されていないというべきである。

第八  予備的訴因変更請求不許可決定について

一  緒説

以上の検討により本件公訴事実については、その証明がないものとして無罪の言渡しをすべきことが明らかになったと考えるが、検察官は、論告中において、当裁判所が昭和六三年九月二八日付けでした予備的訴因(不作為による殺人の訴因)への変更請求の不許可決定(以下、単に「決定」という。)を誤りであるとし、これに反論しているので、最後に、この点についても触れておくこととする。

二  検察官の反論の要旨

検察官が、論告中において、右決定が不当であることの論拠として挙げる点は、(1)刑訴法三一二条は、訴因変更の許否の限界として「公訴事実の同一性」を示すに止まり、他に何らの要件を掲げていないから、公訴事実の同一性の範囲内にある検察官の訴因変更を不許可とする場合は極めて例外的、かつ慎重に行われるべきであって、右明文にない他の要件を掲げて検察官の訴因変更を不許可にした決定は、当事者主義の訴訟構造に反し、恣意的かつ独自の見解である。(2)決定が訴因変更の許されない場合として掲げた第二の類型は、裁判所の示す基準自体が極めてあいまい、不明確であって、首肯できない。(3)決定が、右第二類型にあたるか否かの判断にあたり、「有罪判決の得られる蓋然性の程度」を掲げているが、右は、本来本案の裁判において判断すべき事項を訴因変更許否の判断の資料としようとするもので、訴訟手続に関する裁判の一種である訴因変更許可に関する裁判の性質に反する。(4)本件において、我妻証言も、新生児が仮死の場合に、専用の器具のない介助・蘇生術のみによっては、児が確実に死に至るとしているのではないし、看護婦で助産婦の資格を有するDらの適切な介助があれば、専用の器具を使用しなくても、児の死亡を阻止し、あるいは相当期間の延命をなし得たかもしれなかったのであるから、右の点について審理の機会を与えなかったのは不当である、という四点に帰着すると思われる。

三  反論(1)について

刑訴法三一二条が、訴因変更の許される限界につき、「公訴事実の同一性」以外に明文の制約を規定していないことは、右反論の指摘するとおりであるが、同条が、公訴事実の同一性の要件さえ充足すれば、裁判所において、検察官のいかなる訴因変更請求をも許可しなければならないとする趣旨でないことは、右反論自体がこれを是認していると解される。当裁判所も、公訴事実の同一性の範囲内にある訴因変更請求は、原則としてこれを許可しなければならないとする点で、右反論と基本的に見解を異にするものではないのであって、公訴事実の同一性の範囲内にある訴因変更でも、一定の例外的場合に限っては、許されるべきでないとする決定の見解が、直ちに、当事者主義の訴訟構造に背馳するものでないことは、多言を要しないと考えられる。もちろん、訴因変更の許否は、できる限り明確な基準に基づいて決せられるのが望ましいのであって、当裁判所もかかる観点から、不許可とされるべき場合が、「訴因変更が許可されることにより被告人の受ける不利益が、公判手続を停止しただけでは回復することができない重要なものであると認められる場合」に限られるべきであることを、刑訴法三一二条の法意から導き出し、更に、右の場合に二つの類型があり得ることを詳細に論証した上、いずれについてもその判断の基準を具体的に判示しているのであって、これが、右反論の主張するように、同条の不当な拡張解釈であるとか、「極めて恣意的」な解釈であるとは考えない。(むしろ、右反論のように、不許可の裁判は、「極めて例外的、かつ慎重」にされるべきであるとか、「訴因変更を不許可にしなければ条理に反することが何人にも一見して納得し得る場合」に限られるべきであるなどとするだけで、その具体的内容について一切触れない見解の方が、はるかに恣意的な解釈であるといわなければならない。)

四  反論(2)について

最高裁判所の判例は、憲法三七条一項の迅速裁判保障条項に反する事態に至った場合には、刑訴法の明文に反しても、一定の段階で審理を打ち切り免訴の裁判により被告人を訴訟手続から解放すべき旨判示している(最大判昭和四七・一二・二〇刑集二六巻一〇号六三一頁)。そして、右判例の趣旨は、刑訴法の他の規定の解釈上も、尊重せざるを得ないのであって、現に最高裁判所の判例は、現行刑訴法上事後審と解されている控訴審の破棄差戻しの権能が、憲法の右規定との関係で一定の制約を受けざるを得ないことを事実上認めている(最二判昭和五八・五・二七刑集三七巻四号四七四頁)。このような判例の流れからいうと、決定摘示の諸般の事情を総合勘案し、究極的には憲法の右規定の趣旨に照らし、訴因変更の許否を決しようとする決定の立場は、容易に首肯されると思われる。確かに、決定摘示の第二類型については、これに該当するか否かを一律明快な基準で判断し難いうらみがあることは、これを否定し難いが、それは事柄の性質上ある程度やむを得ないものであって、今後多くの裁判例の集積により、自ら適切な基準が形成されていくと期待してよいと考える。(なお、判例の掲げる、免訴の裁判により訴訟手続を打ち切るべき場合の判断基準も、必ずしも一律明快なものではないが、その後の判例により、次第にその射程が明らかにされつつある。本件で問題とされているのは、刑訴法の明文に反して公訴を打ち切ることが許されるかというような深刻な次元のものではなく、予備的訴因変更請求の可否という、いわば派生的手続に関する刑訴法の規定の解釈であって、右判例の場合と比べれば、問題の次元は、はるかに低く、裁判例の集積も得易いと考えられる。)

五  反論(3)について

この点は、恐らく反論が最も重視している点であると考えられるので、やや立ち入って考察する。

訴因変更の許否の判断にあたり、新訴因につき有罪判決の得られる蓋然性の程度をも考慮に容れるべきであるとする決定の見解は、一見奇異に思えるかもしれないが、よく考えてみれば、決してそうではなく、条理上当然のことというべきである。そもそも、検察官の訴訟行為は、原則として、究極的に有罪判決を得ることを目的として、そしてまた、有罪判決の得られる蓋然性があることを前提として行われているのであり、もし審理の途中において、本来の訴因につき有罪判決を得られる蓋然性が全く失われ訴因変更の余地もないと認められるとき(例えば、被告人が身代り犯人であることが明らかになったとき)は、裁判所は、直ちに審理を打ち切り被告人に対し無罪の言渡しをしなければならない。このような場合、多くの検察官も審理打ち切りに同意すると思われるが、仮りに検察官が右審理の打ち切りに応じない場合でも、裁判所は、検察官に対し今後の立証計画の釈明を求めるなどした上で、なおかつ右蓋然性がないものと判断する限り、検察官の立証を許さないまま審理を終結することもできる筈である。(他方、また、弁護人の立証といえども、それが、弁護人の目指す無罪判決の獲得に何ら寄与しないものであると認められるときは、その必要性がないものとして却下されることのあることは、当然のことと解されている。)もちろん、有罪判決の得られる蓋然性又は無罪立証の成功する蓋然性は、起訴状一本主義をとる現行刑訴法のもとにおいて、少なくとも訴訟の初期の段階においては判断し難いのが通常であり、また、当事者主義の精神に照らし、かかる蓋然性の有無の判断が慎重になされるべきことは当然であるが、それはあくまで事実上・運用上の問題であって、理論上、かかる蓋然性の存在が、各当事者の訴訟活動の基礎になければならないことは、明らかであると考えられる。ところで、本件において問題とされているのは、このような、一定の訴因を前提とした上での立証打切りの可否ではなく、新たな立証のテーマを設定しようとする検察官の訴訟追行行為(予備的訴因変更請求)の許否であるから、ことがらは、右に述べたところと必ずしも全く同一ではない。反論の指摘を待つまでもなく、当事者主義を基調とする現行刑訴法は、立証のテーマの設定(すなわち、いかなる事実について公訴を提起するか)を検察官の合理的な裁量に委ねており、最高裁判所の判例も、裁判所には、原則として訴因変更命令義務がないこと、訴因変更命令には形成力がないこと、従来の訴因につき有罪の言渡しをし得る場合であっても、請求があれば他の訴因への変更を許さなければならないこと、一罪の一部起訴も原則として許されることなど、当事者主義的訴訟構造を重視した見解を積み重ねている。しかしながら、判例の見解も、当事者主義の考え方を徹底するものではなく、例えば、一定の要件の存する場合には、裁判所に訴因変更命令義務のあることが肯定されており、右訴因変更命令義務の要件の一つとして、新訴因につき「有罪であることが明らかな場合」(すなわち、有罪判決の得られる蓋然性が、極めて大きいこと)が挙げられているのである(最三決昭和四三・一一・二六刑集二二巻一二号一三五一頁)。このように判例が、一方において、新訴因につき有罪判決の得られる蓋然性が極めて大きい場合に、裁判所に訴因変更命令義務を課していることからすると、逆に、訴因変更請求の許否にあたっても、右蓋然性の程度を考慮に容れ、これが著しく小さい場合には、従前の訴訟の経過等を勘案して、これを許すべきでないとする決定の見解は、判例の趣旨に副うものであっても、これに反するものであるとは考えられない。反論は、このような判断は実体裁判を先取りするもので、訴訟手続に関する裁判の一種である訴因変更許否の裁判の性格に反するともいうが、訴訟手続に関する裁判(例えば、証拠決定)においても、常に有罪判決の得られる蓋然性の程度との関係が考慮されており、また、考慮されるべきであることは、すでに詳細説示したとおりであって、右の点を考慮することが、訴訟手続に関する裁判としての性格に反するとは到底考えられない。また、反論は、決定が、検察官に対する求釈明により、新訴因につき有罪判決の得られる蓋然性を判断したことを、るる論難する。しかし、訴訟の初期の段階であればともかく、争点に関する審理も煮つまった最終段階に至れば、裁判所が、新訴因に関する検察官の立証計画の内容を既存の証拠と併せ検討することにより、新訴因につき有罪判決の得られる蓋然性を容易に判断し得ることがあるのであって、かかる場合に、裁判所が右のような方法で右蓋然性の存否を判断することが許されない筈はないと考える。

六  反論(4)について

一般に、いわゆる不真正不作為犯における因果関係も、犯罪構成要件に該当する事実の一であって、訴訟上これを肯認するためには、合理的な疑いを容れない程度の立証が必要であると解されている。従って、本件予備的訴因につき検察官が有罪判決を得ようとすれば、最少限度、専用の器具を使用しない介助や蘇生術によっても、新生児の死の結果を回避することができた事実を合理的な疑いを容れない程度に立証することが不可欠であって、反論の主張するように、専用の器具を使用しない介助等によって、「嬰児の死亡を阻止し、あるいは相当期間の延命をなし得たかも知れなかった」との事実を立証しただけでは、予備的訴因につき有罪判決が得られる筈がないのであるから、右の程度の立証しかなし得ないことを検察官自身が自認する予備的訴因変更請求を決定が許可しなかった点に、違法があるとは思われない。反論は、不真正不作為犯の因果関係の立証の程度につき通説と異なる独自の見解に依拠して決定を論難するものといわなければならない。

なお、本案審理の中途の段階であったため、決定では明言を避けたが、一般的に、出産直後の産婦が、精神的・肉体的に前記のような異常な状態にあることを考えると、本件において、出産直後の被告人に対し、不真正不作為犯成立の大前提となる作為義務を認めること自体にも問題があるといわなければならない。そしてひるがえって考えてみると、そもそも本件予備的訴因は、本位的訴因に掲げられた事実のうち、殺意の立証には成功したが殺害行為の立証には成功しなかったという場合に限って意味のあるものであるところ、すでに検討したとおり、殺意と殺害行為の立証には、被告人の捜査段階の供述調書等が不可欠であって、右供述調書等の証拠能力が否定された場合には、殺害行為についてはもちろん、殺意についてもその立証がないことに帰着することが明らかであるから、被告人が予備的訴因につき有罪と認められる蓋然性は存しない。他方、当裁判所と異なり、右供述調書等の証拠能力及びその殺意に関する部分の信用性を肯定した場合には、供述調書において、殺意に関する供述が殺害行為と密接不可分な形で録取されていることなどからみて、殺害行為に関する記載部分もその信用性が肯定される公算が著しく大きいといわなければならないのであって、この場合には、本位的訴因が肯認される関係上、検察官の予備的訴因変更を許可する実益が存しない。以上のとおり、本件予備的訴因は、いずれにしても、その変更請求を許可してこれにつき実体審理を遂げる実益のほとんど存しないものであったというべきである。

なお、検察官は、後記弁論再開請求に関する意見書中において、訴因変更の時期的限界について判示した東京高判昭和六三・五・一一判タ六八二号二四四頁を引用しているので、この点に関する当裁判所の見解を示しておく。

右判決は、確かに一般論としては、訴因変更の時期的限界について、当裁判所よりややゆるやかな見解を採用しているようにみえる。しかし、右判決の判示する事実関係を前提にして判文を熟読してみると、右判決も、当該事案の審理の経過・状況、当該事案における証拠関係、訴因変更によって被告人に与える防禦上の不利益の有無・程度、訴因変更を許可した場合に予想される審理の長期化の程度、新訴因につき有罪判決の得られる蓋然性の程度等、当裁判所が訴因変更許否の判断にあたって考慮すべきであると考えた事情とほぼ同一の事情を検討し、これらを総合して訴因変更請求を許可した原審の訴訟手続に違法はない旨判示したものと理解されるのである。そして、右事案においては、もともと、被告人の尿中から覚せい剤が検出されたことが鑑定書により立証されていて、被告人が覚せい剤を何らかの方法で体内に摂取したこと自体には疑いがなく、ただ、その方法が、本位的訴因のように被告人が単独で自己使用したのか、予備的訴因のように、被告人が共犯者と共謀の上使用したのか、あるいは被告人が公判廷で弁解するようなその他の方法で摂取されたのかが争われていたにすぎないのであって、覚せい剤使用の事実を全面的に否認する被告人は、従前の審理過程において、事実上予備的訴因に関する防禦をも十分尽くしているが、それにもかかわらず訴因を変更すれば、有罪判決に至る蓋然性が極めて大であったこと(現に、第一審裁判所は、予備的訴因につき有罪判決を言い渡している。)、当該事案の審理が比較的迅速に行われており、訴因変更請求は、いずれにしても、起訴後わずか数か月を経過した第六回公判において行われていることなどの点で、本件とは、明らかに事案を異にしていると考えるべきである。

第九  検察官の弁論再開請求について

一  弁論の再開請求の経緯等

検察官は、本件の弁論終結後約三か月を経過し、判決宣告期日が一週間後に迫った平成元年三月一五日、突然、別紙記載の重過失致死の訴因を予備的に追加しその立証をする必要があるとして、弁論再開請求をしたが、当裁判所は、現段階における弁論の再開は適当でないと認めこれを却下する決定をしたので、以下、その理由を説明しておくこととする。

二  再開請求に関する検討

1  刑訴法三一三条は、裁判所が、「適当と認め」たときは、訴訟当事者の請求又は職権により、決定をもって、終結した弁論を再開することができると規定し、弁論再開の申立権を両当事者に保障するとともに、再開するか否かを裁判所の裁量に委ねている。しかし、訴訟当事者において、慎重な検討の末、他に主張・立証はないとして、論告・弁論を経て終結した弁論の再開請求をするについては、それなりに合理的な理由がなければならない筈である。そうではなく、一旦弁論を終結したのちにおいても、裁判所の全くの自由裁量によりいつでも弁論を再開し得ると解するときは、弁論終結後何らの事情の変更もないのに、検察官の請求により何度でも弁論の再開がなされ得ることになるが、右のような解釈は、弁論終結によって得られた被告人の地位を著しく不安定にするもので、これが妥当でないことは明らかである。

2 それでは、同条にいう「適当と認めるとき」とはいかなる意味に解すべきか。まず考えられるのは、弁論終結時に存在していなかった新たな事情が発生しこれを主張・立証する必要がある場合(終結後の示談・弁償のほか、傷害の被害者の死亡等)とか、終結前には入手していなかった重要な証拠を新たに入手した場合などである。これらの場合は、もちろん事柄の重要性にもよるが、弁論終結時までには立証し得なかった事実を主張・立証しようとするものであるから、そのこと自体に照らし、通常、弁論再開の「適当」な場合にあたると解し得ることは、何人にも異論はないと思われる。

3 しかし、訴訟は、神ならぬ人間の行うものであるから、弁論終結前には気付かなかった予想外の重要な論点が発見されたり、ある事項について十分立証し得る証拠を有しているのに、これを提出するのを失念しており、そのままでは、本来到達すべき結論に到達し得なくなってしまうような場合(いわゆる審理不尽の場合)も時に起こり得るのであり、かかる場合に、右未解決の問題点について更に審理を遂げたり、若干の立証を補充するため、弁論の再開をすることが、弁論終結後事情の変更のない限り一切許されないとまで解するのは、窮屈にすぎる。しかしながら、弁論終結によって得られた被告人の地位の一応の安定は、相当程度尊重されなければならないことも前述したとおりであって、結局、訴訟当事者からなされた弁論再開の請求の許否を決するにあたっては、(1)再開の上更に審理を遂げることを必要とするに至った事情(弁論終結後に事情の変更があった場合は、まず問題がないが、そうでない場合には、通常、終結前に、当該事項に関する審理の必要性に気付かなかったことについて、多少ともやむを得ない事情の存することが必要であろう。)、(2)再開をしないまま判決した場合の結果の不合理性の程度(例えば、被告人側において、当然立証し得る事項につきわずかに立証を追加することによって、当該訴因につき被告人が無罪となる可能性があるときなどは、右不合理性の最も著しい場合である。)、(3)終結に至る経緯及び再開後予想される審理の内容、期間等(短期間に終結した事件について、再開の上ごく簡単な審理を求める場合と、長期にわたる審理の末結審しながら、更に長期間の審理を必要とすると予測される再開の申立をする場合を比べれば、後者の場合より前者の場合の方が、再開になじみ易いことは明らかである。)、更には、(4)弁論終結後再開請求に至るまでの期間(弁論終結後判決宣告期日が近づくに従い、一定の判決を得ることに対する両当事者の期待は高まるのが通常であるから、終結直後になされた再開請求と比べると、終結後長期間を経過し判決宣告期日直前になされた再開請求を認めることに慎重でなければならないことは、当然のことである。)など諸般の事情を総合した上、弁論を再開するのが真に「適当」であると認められるか否かを、裁判所の健全な裁量により決すべきものと解される。

なお、検察官が前記意見書中で言及する前掲東京高判は、弁論終結後再開請求とともにする訴因変更請求は、「審理経過からみて真に必要であり、かつとくに不当とすべき事情がないと認められる限り」許されないことではない旨判示しているところ、右判示は、直接は訴因変更請求の許否に関するものであって弁論再開が適当か否かの判断に関するものではないが、右判示が、弁論終結後の訴因変更請求について、右のとおり必要性と相当性を要求している趣旨は、予備的訴因追加を前提とする本件弁論再開請求の許否を決するにあたっても、当然参酌されて然るべきである。

4  そこで、このような観点から本件再開請求について検討してみるのに、右は、弁論終結後長期間を経過し、判決宣告期日を目前に控えた時点でなされただけでなく、弁論終結後の事情の変更を理由とするものでないという点で、「適当」と認めることに、強い疑問を抱かざるを得ないものであるが、右の点に加え、本件については、次のような事情も存することに、注目する必要がある。

5 すなわち、まず、本件においては、前記第八においてすでに詳細に説示したとおり起訴後三年近い審理の末、弁論の終結が近づいた段階で、本位的訴因である殺人の作為犯の立証の成功に危ぐを覚えた検察官が殺人の不作為犯への予備的訴因変更を請求し、当裁判所に却下された経緯が存するのである。法律の専門家である検察官が、右訴因変更の請求をするにあたっては、不作為犯の訴因とともに、過失犯の訴因の検討をしなかったとは考えられないのであって、検察官が、右検討の結果、過失犯より不作為犯を選択して予備的訴因変更の請求をし、これを却下されながらそれ以上の訴因変更の請求をすることなく弁論の終結に応じた本件においては、検察官が、弁論終結以前の時点において、重過失致死の訴因追加の請求をしなかった点につき、いかなる意味においても、やむを得ない事情があったとは到底考えられない。のみならず、検察官は、不作為犯の訴因に関する予備的訴因変更請求が却下されたのち、それ以上の訴因追加の請求をしなかったことにより、暗黙のうちに、それ以上過失犯の訴因への訴因変更をしない旨の意思を表明したものとみる余地すらあるといわなければならない。

なお、検察官は、弁論再開請求に対する弁護人の意見書の提出後、判決宣告期日の当日になって、更にこれに対する意見書を提出したが、右意見書中において、弁護人が意見書中で右に指摘した結審前の訴因変更請求に関する事情を強調しているにもかかわらず、右の点について何ら触れるところがないばかりか、結審前に重過失致死の訴因の追加申立をせず、判決宣告期日直前にこれをするに至った点についても何らの説明をしていない(検察官は、右意見書中において、結審前の予備的訴因変更請求を却下されたため、「やむをえず」結審に応じたとの趣旨の主張もしているが、右時点において、検察官がそれ以上の訴因追加請求をしなかったことの合理的理由を何ら示していない。)。

6 しかも、検察官が再開請求の理由とするところは、本位的訴因についてのわずかな立証の補充という類いのものではなく、殺人罪の成否をめぐって三年以上深刻に争われてきた本件につき、新たに重過失致死の予備的訴因を追加しようとするものである。右予備的訴因に関する検察官の立証計画は明らかではないが(前記意見書には、予備的訴因についての証拠の「相当部分が従来取調べた証拠として既に現れている」旨の記載があるが、右訴因につき何らの立証を要しないとの記載はなく、むしろ、弁論再開請求書の記載に照らすと、検察官が何らかの立証を予定していることは明らかである。)、仮に検察官自身には新たな立証計画がないとしても、右訴因追加を許可すれば、これに対する被告人側の防禦のため、相当の審理期間を必要とすることは、容易に予測されるところであって(予備的訴因においては、注意義務発生の前提として、被告人が医務室へ入る以前に陣痛を「覚知」していたという事実が主張されているが、右「覚知」が①陣痛の確定的な認識を意味するのか②未必的なそれをも含むのかが、第一の問題であり、予備的訴因の審理においては、まず、右の点を含む公訴事実に関する釈明から出発しなければならないと思われる。そして、もし、検察官が右②の主張をするときは、そのような未必的認識によって、重過失致死罪の前提となる注意義務が発生するのかどうか自体について論議が紛糾しよう。他方、検察官が①の主張をした場合を考えてみると、右主張は、被告人の従前の公判廷における弁解と全く異なるものである上、予備的訴因においては、被告人の陣痛を覚知した時期に関する認定が、犯罪の成否自体に重大な影響を持つことになるので、右の点につき被告人側に改めて十分な反証の機会を保障する必要があると思われる。そして、これまでの検察官の訴訟追行の態度からすると、もし、入室の段階における陣痛の覚知が未必的なものであった場合には重過失致死罪が成立しないという結論に到達する蓋然性が生じたときは、更に遡って、入室以前に被告人が陣痛を確定的に認識しなかったこと自体を過失と構成して訴因変更を請求することすら考えられるのであって〈現に、前記意見書中には、被告人が妊娠を覚知したときから本件犯行時までに医師の指導を受けていない点を指摘する部分があり、右の推測を一部裏付けている。〉、このようなことが許されるとすれば、訴訟はまさに泥沼にはまり込むことになってしまう。また、仮りに、それ以上の訴因変更を認めないにしても、本件予備的訴因の審理をめぐっては、右に述べた点のほか、嬰児が仮死状態で出産されそのまま死亡することの予見可能性、被告人に注意義務違反があるとして、これと結果との因果関係等をめぐり、種々の困難な問題があり得ることは明らかであり、これらの点につき事実上・法律上十分の防禦をすることは、被告人・弁護人の当然の権利であるといわざるを得ない。)、すでに単純な嬰児殺事件としては異例に長期化している本件の審理が、更に相当期間延引する結果となることは必至である。本来の訴因につきすでに無罪判決を受ける期待の高まっている被告人を、そのような長期間更に被告人の地位に止まらせることが、少なくとも著しく妥当を欠く措置であることは、あえて多言を要しないと思われる。

7 次に、弁論を再開するかしないかによって、予想される判決結果がどのように異なるかを考えてみるのに、本位的訴因である殺人の訴因については、いずれの場合においても無罪の言渡しがされるわけであって、本件は、わずかな立証を追加することにより、本位的訴因についての結論が逆転する可能性のあるというような場合とは、根本的に事案を異にしている。また、検察官が弁論再開後に予定する重過失致死の訴因の予備的追加は、訴因変更の時期的限界に関する当裁判所の見解(決定参照)に照らすと、当然に許容されるものとは解されず、むしろ、右決定にいう第二類型にあたるものとして否定される蓋然性が大きいと考えられるが、そうであれば、そもそも弁論を再開する実益もない。更に、仮りに右訴因追加自体はこれが許されると仮定してみても、右訴因につき被告人をそのまま有罪と認め得ることになるか否かは、必ずしも予断を許さないところであって(陣痛の覚知時期について弁護人の本格的反証を許していない現段階においてすら、当裁判所は、医務室へ入った段階における被告人の陣痛の認識は未必的なものであり、これを確定的に認識したのは、出産の直前であったと認定しているが、陣痛の認識がいまだ未必的であった医務室への入室の段階で、被告人に予備的訴因記載のような注意義務があり、これを履行しないことが刑法上の過失、とりわけ重過失を構成するといえるか否かについては、議論の余地が大きいと思われるし、死の結果及び結果に至る因果関係に関する予見可能性等にも困難な問題があることは、さきに一言したとおりである。)、予備的訴因についても無罪の結論に至る蓋然性は否定し難いのみならず、仮りに、審理の結果被告人に何らかの落度が肯定される可能性が皆無ではないにしても、これが重過失ではなく単純過失に止まるという判断に達する蓋然性も相当程度存在すると認められる。そして、予備的訴因に関する前記のような長期間の審理の結果、もし単純過失の結論に達した場合には、訴因を基準とすれば無罪の、実体形成を基準とした場合でも管轄違いの各判決を言い渡さざるを得ないのであって、いずれにしても、被告人に対し有罪判決を言い渡すことはできない。新訴因について、改めて前記のような相当長期間にわたる審理を遂げたとしても、右のような判決により訴訟を終了させざるを得なくなる蓋然性が相当にある本件については、右の点からみても、弁論の再開が「適当」であるとは認め難い。

8 刑訴規則一条二項の規定を待つまでもなく、あらゆる訴訟上の権利は、「誠実にこれを行使し、濫用してはならない」のであって、右訴訟上の権利の「誠実行使」ないし「濫用禁止」の大原則は、公益の代表者である検察官について、特に強く要請されるというべきところ、本件検察官の弁論再開請求は、すでに述べた諸点からみて、右の原則上も疑問であるといわなければならない。公益の代表者としての検察官に求められるのは、いたずらに個々の訴訟の勝敗や体面に拘泥することではなく、捜査の不手際や公訴提起の際の判断の誤りはこれを率直に認め、今後同様の誤りを冒さないよう反省・自戒することではなかろうか。

三  再開請求に関する結論

以上のとおり、本件弁論再開請求は、(1)弁論終結後の事情の変更を理由とするものではなく、(2)終結後長期間を経過し判決宣告期日の直前になされたものである上、(3)再開請求の理由とされる重過失致死の訴因追加の請求を、弁論終結前に行わなかったことについて多少ともやむを得ない事情があったとは到底考えられず、(4)むしろ、検察官は、終結前に右訴因追加請求をしない旨の意思を暗黙のうちに表明していたとみる余地があり、(5)再開請求の理由からみて、弁論を再開した場合でも、本位的訴因に関する当裁判所の結論自体が変動することは理論上あり得ず、(6)再開の上訴因の追加を許可するときは、従前の訴因と事実関係及び法律構成を全く異にする新たな訴因につきかなりの審理期間を見込まざるを得ず、それでなくても長期化している本件の審理が更に延引することは必至であり、(7)その結果、新たな訴因どおりの有罪判決の得られる蓋然性は必ずしも高くはなく、かりに有罪であるとしても単なる過失致死罪の認定に至る蓋然性も相当あり、(8)もしそうなれば、被告人に対し、当裁判所が予備的訴因につき有罪判決を言い渡すことすらできないこととなり、(9)そもそも検察官の予定する予備的訴因の追加が、現段階においては、訴因変更の許される時期的限界を逸脱している疑いが強いのであるから、これを許可するのが「適当」であるとは認められず、却下を免れないものである。

第一〇  結論

以上のとおりであって、本件公訴事実についてはその証明がないので、刑訴法三三六条により、被告人に対し、無罪の言渡しをすることとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官木谷明 裁判官木村博貴 裁判官水野智幸)

別紙公訴事実

被告人は、婚外児を妊娠したため、その事実を秘匿し続け、妊娠九か月余に至るまで専門の医師の診断等を全く受けていなかったため、分娩の時期・胎児の状態・異常出産の危険性等に関する医師からの指導等に基づく正確な知識を全く有しないまま昭和六〇年七月一六日午前一一時ころ、派遣店員として勤務中の埼玉県浦和市〈住所省略〉所在の株式会社××浦和店内において陣痛を覚知し分娩が迫ったのを認識したのであるから、このような場合、妊産婦としては、出産に伴う新生児への危険を未然に防止するため分娩設備を有する病院に入院するか、若しくは、医師、看護婦等にその事実を打ち明けて分娩の介助方を依頼する等して新生児が安全・確実に出産しうるようにすべき当然の注意義務があったのに、これを怠り、分娩の事実を秘すため、自ら分娩設備を有する病院へ入院することなく、また医師等に分娩の介助を依頼することもないまま同日正午ころ何らその設備を有しない同店五階医務室に腹痛を装って入室し、同日午後一時ころ同所において、男子新生児一名を分娩した重大な過失により、同児が新生児仮死のまま、うつ伏せの状態で分娩されたため、そのころ、同児をして鼻口部閉塞により窒息死させるに至ったものである。

罪名及び罪条

重過失致死  刑法第二一一条後段

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